昔の旅日記
小栗上野介〜薬師温泉「旅籠」〜
関越自動車道の高崎ICから県道27号高崎駒形線で国道406号に入り、榛名山の麓を烏川に沿っていく。 |
小栗上野介は勘定奉行を免ぜられ、慶応4年(1868年)3月1日、権田東善寺に隠棲、閏4月6日水沼村烏川原にて斬首。時に42歳であった。 |
さいたま市大宮区の普門院に大成領主小栗忠政一族の墓がある。合計三十基の墓の中に小栗氏本家十二代上野介忠順の墓もある。 |
小栗上野介は万延元(1860)年、日米修好通商条約批准書交換のため渡米した。その際、牧野酒造の先祖が随行したそうだ。無事帰国後、大きな盃で祝盃をあげたことから、「大盃」と改銘したという。 |
倉淵温泉「長寿の湯」は国道406号沿いにある。車を停める場所もないほど混雑していた。 |
「旅籠」は経営者が変わって、営業を再開したばかりらしい。ここで働きたいという若い女性がいた。こんな山奥で暮らせるのだろうか。 |