2022年東 京

大手濠緑地〜和気清麻呂公銅像〜

平河門から内堀通りを歩く。


内堀通り


大手濠緑地に「日本の道100選」の碑があった。


内堀通り城郭と高層ビル

千代田区皇居外苑

 皇居を内堀沿いに一周し、一方には江戸以来の歴史を偲ばせる城郭、掘割を望み、他方には近代的な高層ビル群が立ち並ぶ美しい景観を持つ。近年はジョギングコースとして親しまれている。

震災イチョウ


 このイチョウは、かつて一ツ橋1丁目1番地一帯にあった文部省の構内(現在のパレスサイドビル付近)にありました。大正12年(1923年)9月の関東大震災でこの地域一帯は焼け野原になりましたが、イチョウは奇跡的に生き残りました。

 しかし、帝都復興計画による区画整理事業の中で切り倒されることになりました。それを聞いた当寺の中央気象台長の岡田武松が惜しみ、帝都復興局長官の清野長太郎氏に樹木の保存を申し入れたところ、長官もその意義を理解しこの地に移植され、現在にまで残っています。

千代田区

和気清麻呂公銅像


昭和15年(1940年)2月、紀元2600年記念に建立。

こゝに立たせるは護王大明神の神號を給はりし贈正一位和氣清麻呂公の像にして宇佐の大神の貴く畏き御教言を承り復奏の為に参内せるさまをうつせるなり公の誠忠は國史の上に顕著なるが殊に孝明天皇の宣命に身の危きを顧ず雄々しく烈しき誠の心を盡せるはと稱へさせたまひまた明治天皇の策命に日月と共に照り徹れる偉き勲をめでさせたまへりこれの像は明治の大御代に允許を忝うせしを今茲紀元二千六百年の記念として宮城の御濠に沿へる地に建設せるなり公の英霊は千載生けるが如く儼然として宮闕の下を離れず我が國體を擁護しまつり天地と倶にとこしへに存せむ

   昭和十五年二月

大日本護王會

 神護景雲3年(769年)、弓削道鏡は女帝称徳天皇の寵愛を受け、「道鏡を皇位に就かせたならば国は安泰である」とするお告げが宇佐八幡大神より下されたと、奏上をさせた。天皇は真相を確認するため、和気清麻呂公を派遣。

 清麻呂公は「我が国は開闢以来君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除すべし。」とのお告げを受ける。道鏡の怒りをかった清麻呂公は大隅国へ流される。

 神護景雲4年(770年)8月、称徳天皇が崩御。9月、清麻呂は大隅国から呼び戻される。

 宝亀元年(770年)10月1日、光仁天皇が御即位。

東京駅に戻る。

   2022年東 京〜に戻る