2024年〜東 京〜
2.26事件慰霊像〜陸軍刑務所刑場跡〜


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昭和十一年二月二十六日未明東京衛戍の歩兵第一第三聯隊を主体とする千五百余の兵力が、かねて昭和維新断行を企圖していた、野中四郎大尉等青年将校に率いられて蹶起した。 當時東京は晩冬にしては異例の大雪であった。 蹶起部隊は積雪を蹴って重臣を襲撃し總理大臣官邸陸軍省警視廳等を占據した。 齋藤内大臣高橋大蔵大臣渡邊教育総監は、此の襲撃に遭って斃れ、鈴木侍從長は重傷を負い、岡田總理大臣牧野前内大臣は危く難を免れた。 此の間、重臣警備の任に當たっていた警察官のうち五名が殉職した。 蹶起部隊に對する處置は四日間に穏便説得工作から紆余曲折して強硬武力鎮壓に變轉したが、二月二十九日、軍隊相撃は避けられ事件は無血裡に終結した。 世に是を二・二六事件という。 昭和維新の企圖壊れて首謀者中、野中、河野両大尉は自決、香田、安藤大尉以下十九名は軍法會議の判決により東京陸軍刑務所に於て刑死した。 此の地は其の陸軍刑務所跡の一隅であり、刑死した十九名と是に先立つ永田事件の相澤三郎中佐が刑死した處刑場跡の一角である。 此の因縁の地を選び刑死した二十名と自決二名に加え重臣警察官其の他事件関係犠牲者一切の霊を合せ慰め、且つは事件の意義を永く記念すべく廣く有志の浄財を集め事件三十年記念の日を期して慰霊像建立を發願し、今ここに其の竣工をみた。 謹んで諸霊の冥福を祈る。
佛心會代表 河野司 誌 |
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2月26日〜二・二六事件〜 朝九時頃より灰の如きこまかき雪降り來見る見る中に積り行くなり。午後二時頃歌川氏電話をかけ來り、[此間約四字抹消。以下行間補]軍人[以上補]警視廳を襲ひ同時に朝日新聞社日々新聞社等を襲撃したり。各省大臣官舎及三井邸宅等には兵士出動して護衛をなす。ラヂオの放送も中止せらるべしと報ず。余が家のほとりは唯降りしきる雪に埋れ平日よりも物音なく豆腐屋のラツパの聲のみ物哀れに聞るのみ。市中騒擾の光景を見に行きたくは思へど降雪と寒氣とをおそれ門を出でず。風呂焚きて浴す。 九時頃新聞號外出づ。岡田齋藤殺され高橋重傷鈴木侍從長又重傷せし由。十時過雪やむ。 |
