2010年静 岡

十国峠〜実朝の歌碑〜
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 箱根峠から県道20号熱海箱根峠線で熱海峠に向かうと、途中に十国峠がある。


いつもは通り過ぎるだけだが、今日はケーブルカーで展望台へ。

昭和31年(1956年)10月16日、十国峠ケーブルカー開業。

運賃は往復で420円。

十国五島が展望できるということだが、雲が湧き起こる。


十国峠は草原だった。


   箱根の山をうち出て見れば浪のよる小島あり。供のも
   のに此うらの名はしるやとたづねしかば伊豆のうみと
   なむ申すと答へ侍しをきゝて

箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよるみゆ


草原を歩くと実朝の歌碑があった。


右大臣実朝の歌碑

「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」

詩歌を愛した将軍源実朝は、この峠をいくたびも越えています。二所詣でのために鎌倉から箱根権現に詣でるためです。この歌は22才のときに詠まれたといわれています。(二所とは伊豆山権現、箱根権現のこと)

この歌碑は昭和8年熱海に在住の藤原銀次郎氏が私財を投じて建立したものである。平成4年12月伊豆箱根鉄道鰍フ協力を得て熱海市が更に眺望のきくこの場所に移設したものである。

 明治43年(1910年)、大町桂月は十国峠を訪れている。

東鑑、建暦二年二月三日の條に、將軍竝に尼御臺所、二所へ御進發とあり。二所とは、箱根神社と伊豆山神社との事也。實朝と其の母政子とのこの旅行は、往復六日もかゝれり。小田原より湯坂山を越えて箱根神社に詣で、十國峠を越えて伊豆山神社に詣づるが順路也。

   箱根路を我が越えくれば伊豆の海や

      沖の小島に波の寄る見ゆ

と實朝の詠みしは、この時の事にや。小島とは、初島の事也。伊豆山の海岸を距ること三里。十國峠より伊豆山に下る路を取れば、今もなほ沖の小島に波の寄るが見ゆる也。

「伊豆山の千人風呂」

 昭和7年(1932年)2月12日、与謝野晶子は熱海から十国峠へ。

行けどなほ箱根そむけり草はらにはだら雪する十國峠

草の葉に雪ののこるも青ぞらもゆゑあるごとき十國峠

「山のしづく」

 昭和9年(1934年)8月29日、与謝野晶子は熱海から十国峠を越えて箱根湯本へ。

 昭和13年(1938年)2月12日、与謝野晶子は強羅温泉から十国峠を越えて網代温泉へ。

峠路の六里のあひだ青海を見て枯草の世界をつたふ

山下り多賀の佐野屋に坐してあり潮近く鳴り梅花こぼるる

『白桜集』(綴る雪)

 昭和28年(1953年)11月、水原秋桜子は十国峠を訪れている。

   十国峠

風ひびき立冬の不二痩せて立つ

『帰心』

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