鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。古くは延宝7年(1679年)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。 伝説によると、かってこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(1046〜53)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。 この渡しは、明治5年(1872年)に鎧橋が架けられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図絵』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。 縁日に買うてぞ帰るおもだかも 逆さにうつる鎧のわたし 和朝亭国盛
中央区教育委員会 |
茅場町牧野家の後を云。此所(このところ)より小網町への船渡をしか唱えたり。往古は大江なりしとなり
『江戸名所図会』(鎧の渡) |