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吉田松陰の像〜日本橋高等学校〜

中央区日本橋箱崎町に東京都立日本橋高等学校があった。


日本橋高等学校に吉田松陰の像があった。


松陰像の由来

 本校校舎がまだ旧東京市日本橋区箱崎小学校として使われていた昭和12年の末に、尋常6年生として在学していた岩井光子という生徒が亡くなった。光子さんは3年生の頃から病気のために学校を休みがちであったが、成績は優秀で、とくに授業で担任の先生から教わった吉田松陰の生き方に深く心を動かされていた。

 卒業を3ヶ月後にひかえて亡くなる際に、自分の貯金を示しながら、学校に松陰先生の銅像を建ててくれるように両親に遺言した。両親は貧しいながらも苦労してこの遺言を実現し、昭和13年3月22日に盛大な除幕式が行われた。

 製作者は竹内蘭山で、この話を開いて感激した海軍大将高橋三吉が「松陰先生」の文字を書いた。当時、この物語は教育美談として伝えられ、東京日々新聞が表彰を行い、時の文部大臣、東京市教育局視学課長等が参列した。

 昭和14年9月、螢雪書院より「愛国少女光子さんの遺言で出来た吉田松陰銅像の話」という小冊子が発行されて、徳富蘇峰が題辞を寄せている。昭和19年4月に本校がこの地に移転した時、松陰像も引き継いで今日に至っている。

 なお、台座の左右には上に掲げた、光子さんが好んでいた松陰の歌二首及び次のような文字が彫られている。

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも

          とどめ置かまし大和魂

親思ふ心にまさる親ごころ

          けふの音づれ何ときくらん

 「本校第六学年在学中病没せる長女光子の遺言により精神教育資料として之を建つ

昭和十三年三月二十二日 寄贈者 父 岩井五郎」

2009年4月、日本橋高等学校は墨田区八広へ移転。

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