現在の水天宮ピットの場所が、旧東京市箱崎尋常小学校として使われていた昭和12年の末、当時6年生の児童であった岩井光子さんが病気で亡くなった。 光子さんは成績優秀なうえ、特に吉田松陰の生き方に深く感銘を受けており、亡くなる前に自分の貯金で、学校内に吉田松陰の銅像を立ててくれるよう両親に遺言を残した。 両親は生活が苦しい中でこの遺言を実現し、昭和13年3月22日に除幕式が盛大に催された。当時この話は教育美談として東京日日新聞に表彰され、時の文部大臣や東京市の関係者など多数が参列した。吉田松陰像は竹山蘭山が製作するとともに、話に感銘を受けた当時の海軍大将高橋三吉が台座の「松陰先生」の文字を揮毫した。 昭和19年4月、小学校は全児童が戦火を逃れるため疎開したのち廃校となったが、吉田松陰像は同じ場所で日本橋箱崎町の変遷を見守り続けてきた。 平成22年度に都立日本橋高校の移転と箱崎公園改修工事にあわせ、吉田松陰像をこれまで以上に町の方々に親しんでいただくため、この場所に移設することとなった。 |
昭和15年(1940年)1月12日、府立十七中学校設置認可。 昭和22年(1947年)4月1日、都立日本橋中学校開校。 昭和23年(1948年)4月1日、都立日本橋新制高等学校と改称。 昭和25年(1950年)1月28日、都立日本橋高等学校と改称。 平成21年(2009年)4月1日、都立向島商業高等学校跡に移転。 |