下 町江戸川区
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仲台院〜加納甚内の墓〜

2月中旬というのに、4月の陽気。

そこで小松川境川親水公園を歩いてみることにした。

江戸川区指定史跡仲台院を再び訪れる。


仲台院


 仲台院の前には平成元年3月の江戸川区教育委員会の説明が書いてあるが、塀の裏には古い説明板が立て掛けられていた。

 史跡仲台院

 本寺は浄土宗に属し、無量山西方寺と号し、天文6年(1537年)に開山感蓮社応誉良道上人により念仏専修道場を開設、天文8年(1539年)に宮三家及び信者の帰依により堂宇を建立して寺院となった。中興は15代秀蓮社出誉栄郭上人(寛保元年入寂)である。

 本寺は、享保2年(1717年)8代将軍吉宗が鷹狩のためこの近辺に訪れた時、御膳所にあてられた。それ以来幕末までつづき、寺紋の三葉葵はその時許可されたものである。

御膳所


寺紋の三葉葵が書いてある。

 ○ 加納甚内の墓

 将軍鷹狩の時、網差(あみさし)役をつとめた加納甚内の墓が墓地内にある。甚内は伊勢の国の人で、将軍吉宗に招かれてこの地に住み、鷹狩の仕事に貢献した権力者であった。彼はまた新田(網差(あみさし)新田)を開拓した功労者である。

    昭和52年3月

江戸川区教育委員会

「網差(あみさし)役」は平成元年3月の説明では「綱差(つなさし)役」となっている。

新しいものが正しいということだろう。

 加納甚内の墓とはいっても「加納甚内」と書いてあるわけではないから、分からない。

仲台院の方に加納甚内の墓まで案内していただいた。


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