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仲台院の前には平成元年3月の江戸川区教育委員会の説明が書いてあるが、塀の裏には古い説明板が立て掛けられていた。 |
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本寺は浄土宗に属し、無量山西方寺と号し、天文6年(1537年)に開山感蓮社応誉良道上人により念仏専修道場を開設、天文8年(1539年)に宮三家及び信者の帰依により堂宇を建立して寺院となった。中興は15代秀蓮社出誉栄郭上人(寛保元年入寂)である。 本寺は、享保2年(1717年)8代将軍吉宗が鷹狩のためこの近辺に訪れた時、御膳所にあてられた。それ以来幕末までつづき、寺紋の三葉葵はその時許可されたものである。 |

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将軍鷹狩の時、網差(あみさし)役をつとめた加納甚内の墓が墓地内にある。甚内は伊勢の国の人で、将軍吉宗に招かれてこの地に住み、鷹狩の仕事に貢献した権力者であった。彼はまた新田(網差(あみさし)新田)を開拓した功労者である。 昭和52年3月
江戸川区教育委員会 |
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加納甚内の墓とはいっても「加納甚内」と書いてあるわけではないから、分からない。 |
