忍城は文明10年(1478年)頃成田顕泰(あきやす)により築城された。「守り易く攻めにくい」難攻不落の名城であったと伝えられている。 天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東平定の中で戦われた石田三成による水攻めにも耐え、この城は水に浮くのかと恐れられ「忍の浮城」とも称されたという。 寛永16年(1639年)時の老中阿部忠秋が入城し忍城大改築に着手。孫の正武の代にいたり忍城御三階櫓の建設、城門土塀の修築などが完成し、面目を一新したという。 文政6年(1823年)伊勢の桑名から松平忠堯(ただちか)が移封し、忠誠(ただざね)のとき明治維新を迎えた。 市では維新後とりこわされていた城郭の面影を再建し、永く後世に伝えることになった。
行田市 |
阿部忠秋は三代将軍家光の命で墨田川の濁流を騎馬で乗りきり、一躍勇名をとどろかせたそうだ。 |
武州成田下總守顯泰亭にして あしかものみきハゝ雁の常世かな 水郷也。館のめくり四方沼水幾重ともなく蘆の霜かれ。廿餘町四方へかけて、水鳥おほく見えわたりたるさまなるべし。 |