2006年埼 玉
indexにもどる

下總皖一〜道の駅「童謡のふる里おおとね」〜

東北自動車道が事故渋滞。

加須ICから一般道を行くと、埼玉大橋の手前に道の駅「童謡のふる里おおとね」があった。


道の駅「童謡のふる里おおとね」に下總皖一の像があった。

下總皖一像


制作は中島睦雄先生。「下總皖一を偲ぶ会」会長。

完全に逆光なので、後ろから撮ってみた。


 昭和11年(1936年)、中島睦雄は埼玉県加須市(旧:北埼玉郡元和村)琴寄に生まれる。

下總皖一の略歴が書いてある。

 作曲家・音楽教育家として有名な下總皖一先生は、北埼玉郡原道村大字砂原75番地(現・大利根町)に、明治31年3月31日に生まれる。

 埼玉県師範学校を経て、大正6年東京音楽学校甲種師範科(現・東京芸術大学)に入学。

 卒業後、文部省在外研究員としてドイツに留学、その後母校東京音楽学校・東京芸術大学の教授として作曲法や音楽理論を講義する。また文部省編集の教科書の編纂に携わった。同教科書には、「たなばたさま」「はなび」「野菊」「母の歌」など多くの曲が掲載されている。

 唱歌や童謡の作曲をとおして、わが国初等音楽教育に大きな功績を残した。また、全国各地の小・中・高校の校歌、応援歌を四百余り作曲しており、県内では、久喜、蕨、深谷女子校など、百余校の校歌を手がけている。地元では原道音頭や原道・東小学校の校歌を作曲し、生涯で作曲した曲は、三千余を数えるという。

 昭和37年に64歳で他界するが、先生の歌は現在でも人の心を打ち、そのメロディーは今なお歌い継がれ、多くの人々に感動を与えている。

下總皖一像の横にあるボタンを押すと、「たなばたさま」が流れる仕掛けがある。

「たなばたさま」権藤はなよ/林柳波作詞・下総皖一作曲

ささの葉さらさら
のきばにゆれる
お星さまきらきら
きんぎん砂子(すなご)

五しきのたんざく
わたしがかいた
お星さまきらきら
空からみてる

権藤はなよは知らないが、林柳波の碑は沼田の舒林寺にある。

ボタンを押しても、「たなばたさま」は流れてこなかった。

さいたま市浦和区の北浦和公園に「總皖一先生を称える碑」がある。

 平成22年(2010年)3月23日、大利根町は加須市、北埼玉郡騎西町、北埼玉郡北川辺町と合併、加須市の一部になった。

2008年埼 玉〜に戻る