2008年〜埼 玉〜
建福寺〜田舎教師の墓〜

東武伊勢崎線羽生駅を出ると、建福寺に「田舎教師の墓」があるというので、立ち寄ってみた。
建福寺山門

田舎教師の墓 (羽生市指定第1号)
日本の自然主義文学の代表作とされる小説『田舎教師』は、ここ羽生が舞台となっており、市内各地にそのゆかりの跡がのこされています。作者田山花袋は、この建福寺に下宿していた青年教師小林秀三の日記を目にし、それをモチーフとして書きました。秀三は21歳の若さでこの世を去り、志なかばにしてはてた無念さを思うと心が痛みます。まさに“四里の道は長かった”のです。
羽生市教育委員会
“四里の道は長かった”は『田舎教師』の冒頭部分。
四里の道は長かった。その間に青縞の市のたつ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き、豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた。赤い蹴出しを出した田舎の姐さんがおりおり通った。
青年教師小林秀三は熊谷から羽生の弥勒高等小学校まで「四里の道」を通ったのである。
3人の作家連署の句碑があった

山門に木瓜咲きあるる羽生かな
昭和13年4月、田舎教師で知られるこの羽生に3人の作家がおとずれ、記念の句を宿の扇子に書きしるした。
この貴重な遺産を長く後世にとどめるため、これを拡大して句碑とし、ゆかり深いこの寺に建立する。
「3人の作家」は川端康成・片岡鉄平・横光利一。
羽生山建福寺

曹洞宗の寺である。
建福寺二十三世住職は樋口一葉、島崎藤村、田山花袋らと共に『文学界』で執筆活動した太田玉茗。
「それから、羽生の成願寺に山形古城がいるアねえ。あの人はあれでなかなか文壇には聞こえている名家で、新体詩じゃ有名な人だから、まず第一にあの人に賛成員になってもらうんだね。あの人から頼んでもらえば、原香花の原稿ももらえるよ」
田山花袋は玉茗の妹りさを妻にしている。
羽生市指定有形文化財
史跡田舎教師の墓

田山花袋の名作『田舎教師』の主人公林清三こと小林秀三の墓である。君は明治34年3月、熊谷中学校を卒業し、,翌月、弥勒高等小学校に奉職した。
間もなくここ建福寺に下宿し、6粁の田舎道を通った。後に両親と羽生に移り漸く生活の安定を得たが間もなく病にかかり、明治37年(1904年)9月、21才の若さでさびしくこの世を去った。
花袋は墓前にとむらい、住職の手もとにあった彼の日記を読み、大志を抱いて田舎に埋もれて行く青年を見出し、やがて名作を生んだのである。
「故小林秀三君之墓」は狩野徳次郎の筆、「田舎教師」の碑は小杉放庵の筆。
羽生市教育委員会

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故小林秀三君之墓
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田舎教師
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田舎教師研究会の記念碑

平成15年(2003年)9月22日、小林秀三百回忌に建立。
天神社へ。
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