2011年〜埼 玉〜
本應寺〜高山繁文墓〜

川越市石原町の県道39号川越坂戸毛呂山線沿いに本應寺という寺がある。
本應寺山門

本應寺

日蓮宗の寺である。
本堂の左手に「高山繁文墓」があった。

高山繁文墓
高山伝右衛門繁文は川越城主秋元喬朝(たかとも)の家臣で国家老をつとめ、殖産興業の方面で功績を残している。
また俳号を麋塒と称し、松尾芭蕉の門人であった。
川越転封前は甲州谷村にいたが、芭蕉庵を火事で失って甲州に来遊した芭蕉の世話をしたことが近年になって判明した。
麋塒の句には天和2年(1682年)の『武蔵曲』と同3年の『虚栗』に各5句、貞享4年(1687年)の『続虚栗』に1句が知られ、真跡の短冊も4枚ほど残っている。66歳のとき剃髪して幻世と号を改め、享保3年(1718年)2月7日、享年70歳で世を去った。墓碑に「融心院幻世常爾居士」と誌されている。
川越市教育委員会
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