2015年佐 賀

旭ヶ丘公園〜鹿島城跡〜
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鹿島市高津原城内に旭ヶ丘公園がある。


旭ヶ丘公園


鹿島城跡である。

鹿島城と旭ヶ丘公園

 鹿島藩は佐賀藩の支藩として、慶長14年(1609年)に、鍋島忠茂が藤津地方2万石を与えられたのが始まりです。当初、鹿島の城は北鹿島の常広にありましたが、低地のため度重なる水害に悩まされました。そこで9代藩主鍋島直彝(なおのり)は城を高津原に移す事に決め、文化4年(1807年)に鹿島城が完成しました。

 城の区域は現在の城内区にあたり、北側の大手門から本丸の正門である赤門まで、鍵型の折れ曲がった道が続き、周囲には武士の屋敷が立ち並んでいました。本丸は周囲を堀・土塁あるいは塀で囲んであり、天守閣はありません。本丸内部には屋敷や蔵などの各建物が複雑に並んでおり、庭園も造られています。

 鹿島城は、明治7年(1874年)の佐賀戦争の混乱によって、赤門と番所を残して主要建物はことごとく焼失してしまい、67年という短い歴史を終えました。

赤門と大手門

 現在鹿島高校の校門として使われている赤門は、鹿島城本丸の正門です。赤門は、切妻造り桟瓦葺き、「薬医門」という形式の門で、正面右側には番所が付いています。残された棟札から、鹿島城が落成して1年後の文化5年(1808年)に建立されたことがわかっています。

 大手門は切妻造り本瓦葺き、「薬医門」という形式の門で、背後の控え柱の上にも、小屋根をかけます。大手門は昭になってから赤く塗り替えられました。

 この両門ともに飾り金具は少なく、極めて質素ですが、木組みは雄大で、幕末の小藩の城門としては非常に立派なものです。県内に残る数少ない城郭遺構として佐賀県の重要文化財に指定されています。

赤 門


旭ヶ丘公園

 かつて城跡一帯は、旭ヶ丘公園として桜の名所になっています。

 この公園は、文久2年(1862年)に13代藩主鍋島直彬(なおよし)が松蔭(まつかげ)神社の境内の一画に多くの桜を植え、「衆楽園」と名づけ、人々を慰めるために観桜の宴を開いて楽しんだたことおこりとしています。大正3年(1914年)には、九州ではじめて夜桜に電飾の設備がなされて一躍有名になりました。また、大手門から赤門に至る道は桜並木となっており、「花のトンネル」と呼ばれています。

 公園内には、郷土の先人を忍ぶ記念碑や銅像、史跡碑、句碑、石碑などがいたるところに建立されています。

鹿島市教育委員会

鍋島直彬公


松蔭神社


池のほとりに芭蕉の句碑があった。


木のもとに汁も鱠も桜かな

元禄3年(1690年)3月2日、伊賀上野風麦亭の歌仙の発句。

『ひさご』の冒頭に収録されている。

元禄3年(1690年)8月13日、『ひさご』(珍碩編)刊。

 鹿島地方は江戸時代から俳諧の盛んなところで、芭蕉門の美濃派(獅子門)各務支考の流れを汲む。とくに幕末から明治にかけて村々で俳句づくりが流行した。その結集が鹿島に生まれた桜水吟社で、石橋観山が総帥であった。観山は昭和10年に没したが、彼のかねてからの意をうけて、この句碑は昭和13年に建立された。桜の公園にいかにもふさわしい「木のもとに汁も鱠も桜かな」という芭蕉の句が選ばれた。

鹿島青年会議所

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