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明治22年(1889年)5月17日、雨宮(あめのみや)治郎は群馬県に生まれる。 明治39年(1906年)11月15日、野々村一男は名古屋市西区江中町に生まれる。 大正9年(1920年)、雨宮治郎は東京美術学校彫刻科卒業。 昭和6年(1931年)2月3日、雨宮敬子生まれる。 昭和26年(1951年)、東京学芸大学教授。 |
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札幌市中央区大通西10丁目の大通公園にホーレス・ケプロンの像と黒田清隆之像が並んでいた。 |


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黒田清隆は鹿児島県の人。明治3年開拓次官。のち開拓長官に任ぜられ、北海道開拓の大任にあたった。清隆はその性、明察果断にして、開拓の知識を先進国に学ぶ必要を痛感し、自ら海外におもむき知見を広めるとともに、ホーレス・ケプロンをはじめ、多数の外国人技師を招き、その進言を入れ、着々開拓の巨歩を進めた。北海道開発の基礎は、まさに清隆の卓見により確立したものというべく、その勲業まことに偉大である。 ここに北海道百年を迎えるにあたり、その偉業を回顧し、功績を永く後代に伝えるため、この像を建立する。 |

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ホーレス・ケプロンはアメリカ合衆国の人。明治4年わが国政府の招きに応じ、合衆国農務長官の要職を辞して開拓使教師頭取兼顧問となり、北海道開拓の大業に参画した。すなわち、多くの外国人技師を指揮して本道の実情をきわめ、卓越した識見と豊かな経験に基づいて、北海道開拓の基本方策を進言し、開拓長官をたすけてその実現に努めた。その勲業まことに偉大である。 ここに北海道百年を迎えるにあたり、その偉業を回顧し、功績を永く後代に伝えるため、この像を建立する。 |
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昭和45年(1970年)5月13日、雨宮治郎死去。享年80歳。 平成20年(2008年)2月11日、野々村一男は101歳で死去。 |
