天正12年(1584年)、小牧・長久手の合戦に出陣した秀吉の隙をついて、大坂をめざした根来寺勢力その数3万。一方岸和田城を守る兵は約5千騎。しかし城兵の奮戦によって城は守られました。 |
現在の岸和田城から東へ500メートル離れた現野田町1丁目の「古城」と呼ばれてきた地に16世紀初め頃まで存続したと考えられます。 |
文禄4年(1595年)より始められた岸和田城の作事。慶長2年(1597年)に天守が上げられた旨が、「岸城古今記」に記されています。 |
文政10年(1827年)11月20日暁七つ時(午前4時)、岸和田城天守に雷が落ち、天守をはじめ本丸の多聞櫓など多くの櫓が消失しました。 |
明治4年(1871年)7月、廃藩置県の布告を受け、岸和田藩は「岸和田県」となりました。 岸和田城二の丸に残っていた伏見櫓、藩主の居住した御殿も主を失い、順次、破却されました。 |
焼失より126年(1953年)、町のシンボル不在だった本丸に、岸和田市民の力によって、天守が再建されることとなりました。 |
昭和29年(1954年)、約1年の歳月をかけ、数々の課題を乗り越えて、町のシンボルが再建されました。 |
明治35年(1902年)2月7日、福井県に生まれる。 昭和20年(1945年)2月、岸和田に疎開。 昭和21年(1946年)、『雪解』を創刊。 昭和42年(1967年)、第一回蛇笏賞受賞。 昭和43年(1968年)5月12日、岸和田雪解俳句会句碑建立。 昭和58年(1983年)6月29日、81歳で没。 |
昭和26年(1951年)、岸和田に居住。 昭和30年(1955年)、夢殿短歌会を創設。 昭和55年(1980年)4月、夢殿短歌会歌碑建立。 |