コメが揺れた。村が揺れた。 阿南の荘と号された千年の昔から九州屈指の米どころ庄内にもコメ輸入自由化の嵐が 種田山頭火の行乞記に「山のうつくしさ、水のうつくさ、山国らしくてよろしい。」と書き遺されている庄内 行乞漂泊の旅を続けた山頭火が、昭和5年11月、天神山の木賃宿阿南屋に泊し、湯平に向け歩きつつ、握り飯を頬張りながらの作である。 田原千暉(ちあき)は町内天神山出身、俳誌「石」主幹。
佐藤高信 建之 |
さすがに山村だ、だいぶ冷える、だらけた身心がひきしまるやうである、山のうつくしさ水のうまさはこれからである。
『行乞記(一)』(11月4日) |
山頭火は昭和5年11月宮崎より竹田〜長湯を経て天神山阿南屋に泊し、当時佐賀県道と号されたこの道を湯の平まで行乞した。この句はその途次の作である。 |
昭和5年11月、種田山頭火は竹田から長湯を経て小野屋、湯平へと行乞した。その行乞にこの阿南屋に泊し、三〇銭也と記されている。 |
田原千暉、1923年旧阿南村西長宝の生れ。俳誌「石」の主幹。新俳句人連盟顧問。現代俳句協会、九州俳句協会等所属。 |