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鬼石坊主地獄の歴史は古く、文献に表れたのは、天平5年(733年)頃書かれた『豊後風土記』の玖倍理湯の条に「口の経、丈餘、湯の色黒く、泥常に流れず」とあり、元禄7年(1694年)に訪れた貝原益軒は「豊国紀行」に、「円内坊地獄とて熱湯あり泥土なり」と記し、寛政7年(1795年)には、脇欄室が「函海魚談」で、「泥を躍し、湯を起こし」と述べました。 このように形容された当時の地獄は田畑の所々に点在していましたが、熱泥により稲が育たず、人々の暮らしもできない、まさに地獄の土地でした。により稲が育たず、しかしその奇異なる自然現象は、逆に人々の注目を集め、見物客が畦道を歩いて見て廻りはじめたのです。それが「地獄見物」の最初の景色でした。 日露戦争以後、その人気に拍車がかかり、明治43年(1910年)に、我が国で初めての入場料(2銭)を取る「地獄見物」が、この地の「海地獄」から始まると、ついで「血の池地獄」、「坊主地獄」「八幡地獄」「紺屋地獄」が地獄遊覧を開始し、大変な人気を呼び、最大数十ヵ所の地獄巡りにまで発展しました。その中で当時「新坊主地獄」とも呼ばれていた、ここ鬼石坊主地獄は、粘土質の泥中に湯玉が次々と湧き上がる「熱泥地獄」と噴気を勢いよく吹き上げる「間欠泉」の二種類の地獄がありました。 上記写真は、大正末期の鬼石坊主地獄の様子です。当時から自動車の便が開け、昭和に入ると、遊覧バスの運行もはじまり、国内はもとより海外からも多くの見物客を招く、一大観光地となったのです。 その後、時勢により一時閉鎖されましたが、復活を願う内外の多くの皆様のご支援により、平成14年11月「鬼石坊主地獄」として、再開園する運びとなり、歴史ある地獄がここに蘇りました。 |
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