「ぬのはん」は呉服商「布屋」を営んでいた藤原半助が嘉永元年(1848年)に旅籠屋「布屋」を創業。明治16年(1883年)、三代目半助が上諏訪で初めて天然温泉を掘り当て、温泉旅館となった。 アララギ派歌人の常宿として、島木赤彦を始め、斉藤茂吉など多くの歌人の歌会の場になる。 |
離れ屋敷「赤彦の間」は明治38年に建てられたものを再建したもので、島木赤彦、斉藤茂吉、伊藤左千夫などの文人に愛され、アララギ派の歌人の間として利用された部屋。 |
大正2年(1913年)7月30日、伊藤左千夫は48歳で没。斎藤茂吉は布半で知る。 |
悲報来 ひた走るわが道暗ししんしんと怺(こら)へかねたるわが道くらし すべなきか蛍をころす手のひらに光つぶれてせんすべはなし
『赤光』 |
アララギ派の歌人ばかりではなく、島崎藤村や太宰治なども「ぬのはん」に宿泊している。 |
上諏訪“布半”旅館に一泊 ゆく春や雀かくれし樋の中
『流寓抄』 |
湯船内は絶えず補湯と“ろ過”を繰り返しておりますので、湯垢もほとんど見られず、いつもきれいな状態を保っております。 確かに湯船内はいつもきれいな状態のようだが、掛け流しでないのは残念だ。 |