
|
「ぬのはん」は呉服商「布屋」を営んでいた藤原半助が嘉永元年(1848年)に旅籠屋「布屋」を創業。明治16年(1883年)、三代目半助が上諏訪で初めて天然温泉を掘り当て、温泉旅館となった。 アララギ派歌人の常宿として、島木赤彦を始め、斉藤茂吉など多くの歌人の歌会の場になる。 |
|
離れ屋敷「赤彦の間」は明治38年に建てられたものを再建したもので、島木赤彦、斉藤茂吉、伊藤左千夫などの文人に愛され、アララギ派の歌人の間として利用された部屋。 |
|
明治38年(1905年)9月7日、長塚節は布半で短歌会。 |
|
同第二會 七日、布半の樓上に開く、會するもの更に一人を減ず、題 は秋の山、霧、灯、秋の菓物 杉深き溪を出で行けば草山の羊齒(しだ)の黄葉に晴れ渡る空 鹽谷のや馬飼ふ山の草山ゆ那須野の霧に日のあたる見ゆ(下野鹽原の奥) |
|
大正2年(1913年)7月30日、伊藤左千夫は48歳で没。斎藤茂吉は布半で知る。 |
|
悲報来 ひた走るわが道暗ししんしんと怺(こら)へかねたるわが道くらし すべなきか蛍をころす手のひらに光つぶれてせんすべはなし
『赤光』 |
|
アララギ派の歌人ばかりではなく、島崎藤村や太宰治なども「ぬのはん」に宿泊している。 |
|
四月十六日正午、新宿發、上諏訪に向ふ。甲 府をすぎてよりの車中にて 山國のしきりに咲ける櫻かな 上諏訪“布半”旅館に一泊 ゆく春や雀かくれし樋の中
『流寓抄以後』 |



|
湯船内は絶えず補湯と“ろ過”を繰り返しておりますので、湯垢もほとんど見られず、いつもきれいな状態を保っております。 確かに湯船内はいつもきれいな状態のようだが、掛け流しでないのは残念だ。 |