「お風呂に入れますか?」と聞くと、若旦那とおぼしき人が「お湯を落としてしまって、まだお湯が溜まっていない。」と言う。 地獄谷温泉は有名な秘湯だから、お風呂に入れないことなど考えていなかった。 |
明治42年(1909年)6月1日、河東碧梧桐は澗満滝の帰途地獄谷温泉に立ち寄っている。 |
六月一日。晴、暑し、霞む日なり。 一里ばかりも急な山阪を上って澗満滝というのを見に行った。帰途地獄谷温泉に廻って、急湍(きゅうたん)の中にある岩から、蒸気の噴出しておる奇な様を見た。ただ一軒しかない温泉宿の座敷に端居して、宿の婆さんと旧知のある青陽が、この湯に来ていた東京の書生の噂さをしておるのを聞きながら、うとうと午睡をした。 |
再び「お風呂に入れますか?」と聞くと、今度は女将さんらしい人が、「まだお湯が溜まっていないと思いますが」と言って、入れてくれた。 女将さんは名物の粽(ちまき)を作っていた。粽は餅米を熊笹の葉で包み、温泉で茹でたもの。きな粉をつけて食べるのだそうだ。 |
昭和2年(1927年)10月18日、斎藤茂吉は上林温泉、19日湯田中温泉に泊まっている。地獄谷温泉「後楽館」で粽を食べたらしい。 |
たどりこしこの奥谷に家ありて賣れる粽はまだあたたかし
『ともしび』(信濃行 其三) |
昭和32年(1957年)9月、吉井勇は地獄谷温泉で粽を食べたようだ。 |
地獄谷へゆく道すがら目につきし藥師如來ををろがみまつる とどろとどろ鳴る湯の音を聽きながら粽を食めば旅ごころ湧く |