これまでの温泉
肘折温泉「優心の宿観月」
送迎マイクロバスはクラブツーリズムの団体客と一緒だったので、早めにお風呂に入る。 |
泉質はナトリウム−塩化物・炭酸水素塩泉(旧泉質名 含重層・食塩泉)。泉温は87.5℃。pH7.0。 |
明治40年(1907年)9月20日、河東碧梧桐は肱折温泉を訪れた。 |
九時半新庄着。陽炎と別れて下車。午後車を命じて肱折温泉を志す。女々鬼山と鳥海山とで挫いた左足を医せんがためである。三里半きて最上川の渡しを越えてから、道は羊腸たる上りになる。湯の台という頂きの原まで三里を上るという。上り詰めた時に、右後ろに富士の形をした鳥海山を望み、右前に牡丹餅を置いたような丸い月山を仰ぐ。鳥海は雲に隔たり、月山は手が届きそうである。 |
大正6年(1917年)、河東碧梧桐は再び肘折温泉を訪れている。 |
肘折温泉 枝豆の葉のまゝの値づけやすく 枝豆を買ふ朝毎の山なぞへ見る 枝豆を買ふ熱閙の夕明りなる哉 |
昭和22年(1947年)9月、斎藤茂吉は肘折温泉を訪れている。 |
○〔九月肘折温泉にて〕 肘折のいでゆ浴みむと秋彼岸のはざま路とほくのぼる樂しさ
「短歌拾遺」(昭和二十二年) |