大正10年(1921年)9月7日、与謝野晶子・寛は青根温泉「不忘閣」に泊まっている。 大正13年(1924年)9月6日、与謝野晶子・寛は青根温泉に2泊している。 |
青根湯の湯守の館の白き倉さて蔵王山かなたは出羽 青根の湯阿武隈川を船渡りして来しと云ふ世のここちする 碧瑠璃の川の姿すいにしへの奥の太守の青根の浴槽
『心の遠景』 |
昭和3年(1928年)7月19日、荻原井泉水は青根温泉に泊まっている。 |
青根というのは不忘山の中腹にある温泉で、昔は仙台侯の別邸青根御殿のあった所、土地は極めて辺鄙だが、その御殿跡に建てた宿は大きくて、のびのびとしており、温泉は滝をなして落ちるほど豊富であり、宿の二階から太平洋の水の色と金華山を展望し得るのご珍しいのであった。
『随筆芭蕉』(短夜の空も明くれば) |
石に温泉の青さ夏の日さしより 温泉の瀧なすを双肩(もろかた)より |
「影を慕いて」は、古賀政男氏が明治大学の学生時代、青根温泉を訪れた時に作られたという。 |
青根温泉、佐藤旅館にて 惜しみなき木口に建ちてしづけくも古りにけるかも山の温泉宿(ゆやど)は
『風景』(みちのく抄) |
仙臺は 長茄子の味七夕もちかきかな 青根温泉にて仙臺よりのもどり あをねとは青き嶺の夏老いにけり
『流寓抄』 |