元禄2年(1689年)4月22日(陽暦6月9日)、芭蕉は須賀川に至り、相楽等躬宅に7泊している。 |
一 廿二日 須か川、乍単斎(相楽等躬)宿、俳有。
『曽良随行日記』 |
みちのくや判官どのを田うへ(ゑ)哥
『七番日記』(文化8年4月) |
芭蕉は須賀川で等躬から初めて白河に俳人何云(かうん)の存在を聞く。そこで須賀川の旅篭から書簡を認めた。何云は白河藩士。 |
白川の風雅聞き漏らしたり。いと残り多かりければ、須賀川の旅店より申し遣し侍る。 関守の宿を水鶏に問はうもの
何云宛真蹟書簡 |
覆かれて角くむ筆の蘆辺哉 |
明和8年(1771年)6月5日、諸九尼は須賀川に着いた。 |
日ぐれの比須賀川のむま屋につく。徳善院のもとを尋けるにせちにとゞめられて、蓑笠の雫をはらひけり。 |
寛政3年(1791年)6月2日、鶴田卓池は須賀川に泊まっている。 |
壱り十一丁郡山 廿三丁日出山 弐り 須ヶ川 宿柳屋吉右ヱ門
『奥羽記行』(自筆稿本) |