2023年岡 山

岡山城〜天守閣〜
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3年ぶりに岡山城へ。

岡山城内堀


 岡山城は、烏城または金烏城とよばれた名城で、宇喜多秀家によって天正18年(1590年)から慶長2年(1597年)にかけて築城された。

 内堀は城郭の中心である本丸を西と南から画した重要な施設であり、いまになお築城当時の面影をよく伝えている。

 この堀はもともと旧岡山藩主池田家の所領であったが、昭和28年林原グループ太陽殖産株式会社の所有地となり、昭和58年林原創業百周年記念行事の一環として 岡山市に寄贈されたものである。

目安橋を渡る。


大納戸櫓の石垣


 関ヶ原合戦後に、小早川秀秋が築き、池田家が大幅に改修したとみられる石垣です。加工をあまり施さない自然石を用いていますが、上にいくほど傾斜が強くなるのが特徴です。上に建っていた大納戸櫓は、4階建てで天守に次ぐ大きさを誇りました。

岡山はじまりの地岡山城

 岡山の地は、宇喜多直家が本拠としたことにより、戦国の表舞台に登場します。岡山城が天守や高石垣を持つ近世城郭として巨大な姿を見せるのは、直家の子・宇喜多秀家の時代で、慶長2年(1597年)の完成といわれます。岡山と呼ばれる丘の上に本丸を移し、旧河道を利用して流れを変えた旭川を背後の守りとしました。同時に商人や職人を集めて立ち上げた城下町が、今の岡山の礎となりました。

 慶長5年(1600年)、秀家は天下分け目の関ヶ原合戦で西軍の主力として戦い、敗れて八丈島に流されます。その後、小早川秀秋、次いで池田家が城主となり明治維新まで続きました。

 天守は外壁の下見板が黒塗りであったことから「烏城」の名で親しまれ、また他に例のない不等辺五角形の天守台を持っています。昭和20年(1945年)の空襲で焼失し、昭和41年(1966年)に再建(外観復元)されました。

 現在、本丸は史跡に指定され、歴代城主によって整備された様々な積み方の石垣を見ることができます。

不明門


天守閣


天気が良かった。

笙井信一先生の像


昭和33年(1958年)3月、建立。岡本錦朋作。

月見櫓を見上げる


後楽園へ。

2023年岡 山