2013年長 野

「徳本水」〜芭蕉の句碑〜

辰野町今村の国道153号旧道沿いの崖下に「徳本水」がある。


「徳本水」と今村の信仰遺跡


 横川川の急流に削られたこの地は、古来、伊那谷南北交通の要衝で、除け端(よけばな)と呼ばれた難所であった。かの東山道もこの地を通り、旅人が休息する水場でもあった。

 岩間より滾々と湧き出る清水は「徳本水(とくほんすい)」と呼ばれ、この霊水で人々の病を治したという徳本の話を伝えている。ここでは江戸初期の名医永田徳本と江戸中期の名僧徳本上人が混同され、信仰の対象にもなって、徳本上人の座像や「南無阿弥陀仏」の名号碑など関連の石造物も多い。

 小屋場と呼ばれる崖上の平は、徳本が草庵を結んだ所と伝え、戦国時代にはこの山に築かれた龍ヶ崎城の水の手が想定されている。

 今村の村境にもあたるこの地は、村人の信仰を伝える辻遺跡でもあり、水場脇の1、2番の観音像に始まり尾根や村中を巡って西国三十三札所観音を巡拝することのできる石仏群をはじめ、善光寺・妙義山・戸隠山永代年参塔や大神宮月参供養塔、庚申塔、馬頭観音像、常夜灯など、多くの石仏群が集まる。戦前には、「湯を結ぶ誓いも同じ石清水」の芭蕉句碑や小屋場に公園も整備された。

 「徳本水」は、湧水の名のみにとどまらず、このあたり一帯を示す名称として村人に親しまれ、近世村落の信仰を今に伝える史跡として貴重である。

辰野町教育委員会

崖に嵌め込まれるように芭蕉の句碑があった。


湯をむすふ誓もおなし石清水

出典は『曽良随行日記』。

 元禄2年4月(1689年)4月18日(新暦6月5日)、芭蕉は湯本五左衛門宅に着く。翌19日、温泉神社に参詣して詠まれた句。

温泉大明神ノ相殿ニ八幡宮ヲ移シ奉テ、両神一方ニ拝レサセ玉フヲ、

   湯をむすぶ誓も同じ石清水   翁

『曽良随行日記』

弘化4年(1847年)、梅真庵弄志、鳴滝舎五眺他の建立。

 梅真庵弄志は青木宥敞。通称義賢。文化11年(1814年)、筑摩郡片丘村熊井に生まれる。諏訪郡四賀村の仏法寺で修業。今村の香住寺の住職となった。書をよくし、玉骨道人と号した。芭蕉の句碑に揮毫。文久2年(1862年)、49歳で没。

 鳴滝舎五眺は三浦覚右務。今村の庄屋の家に生まれる。

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