○上松宿高札場跡 |
高札場は、幕府や領主が決めた法度や御定書などを木の板札に書き、人目をひくように高く掲示した施設で、主要な街道の交差点や村の入り口など、人通りの多い場所に設置されていました。 上松宿では宿場の入り口(江戸側)である十王橋の橋詰山手にありました。 |
○十王橋のいわれ |
宿場の北側を流れているこの川は、昔は小野川と呼ばれていましたが、宿場側の橋詰に十王堂が建てられてからは十王沢と呼ばれるようになり、橋も十王橋と呼ばれるようになって現代に伝わっているものです。 |
○地蔵尊と馬頭観音 |
この地にある地蔵尊は十王堂に祀られていたもので、慶応3年(1867年)5月の大洪水で十王堂とともに流失しましたが、それから75年後の春のお彼岸に河川の石の間から発見されてからは、対岸の山腹にあった馬頭観音とともに祀られてきたと伝えられています。 国道バイパス工事(平成10年完成)に伴う新道の敷設と橋の架け替えのため現在地に移転し、地域の人たちがお世話をしています。 |
これより上松の駅まで十二町ありといふ。坂を上れば左の方に番所あり。坂を下れば上松の駅なり。御休所と書し札いだせる家多し。 |
江戸時代には、本町(枡形の町並み)の角を曲がり、中町に入った所の左右に2基の一里塚がありました(碑より30メートル下方)。 一里塚は土を丸く山に盛って造られているので、南に向かって右側を下の山と呼び、左側を上の山と呼んでいました。この一里塚の位置は 京へ65里 江戸へ72里です。 残念ながら現存しません。 |
上松に宿る。 五月雨の夕雲早し木曾の里 雨止まず。暁みれば襖殊にいぶせく関羽張飛の絵に染の雲うづまく。 五月雨や木曾の山家の片明り |