「大地に絵をかく」 その夢とロマンに生きた人。岩切章太郎は明治26年5月8日、川の向う中村町で生まれ、少年時代から宮崎の母なる川、大淀川を眺めて育った。 大淀村大淀尋常高等小学校、宮崎県立宮崎中学校、第一高等学校、東京帝国大学法学部に学んだ。 故郷に生き、故郷に役立つ仕事で一生を貫こうと心にきめていた。章太郎は大正13年に帰郷。宮崎交通の前身である、宮崎市街自動車株式会社を創立。大正15年5月10日、大淀駅と宮崎神宮間にはじめて、市内バスを走らせた。昭和6年、青島までの定期遊覧バスを開始したが、自ら案内原稿を執筆。このことが宮崎県観光開発の出発点となった。 そして、神話と伝説の国宮崎に、もう一つ、南国宮崎の魅力を加えようと、フェニックスに着目し、植栽をはじめた。 宮崎の自然を、こよなく愛した、章太郎は、大地をカンバスに見たてて、自然の美、人工の美、人情の美の、絵をかいていくこと、365日花のあるまち、宮崎をつくることに、夢と情熱を注いだ。 こどものくに、日南海岸、えびの高原などは、その代表的な、大地の絵である。 いま岩切章太郎は、自ら植えた、橘公園のフェニックスを望んで、ここに立つ。 昭和60年7月16日没。92才。
岩切章太郎翁顕彰会 |