猿蓑とは芭蕉の高弟であった凡兆と去来が共同で編集した俳諧撰集で、俳諧七部集の第五部にあたり、元禄4年(1692年)に上梓された。芭蕉の「初しぐれ猿も小蓑をほしげなり」という句が立句に使用されているためこの名が付いた。猿蓑はその後俳諧を学ぶ者にとって良き指針となったが、文化7年(1811年)に宮崎江平町の太田芳竹が同士と相計りこの塚を建てた。塚の石は高岡町去川の自然石で、文字は芳竹の師であった京都の五升庵瓦全の筆である。
この塚は社殿東側の雑木林の中にあったものを俳句結社・椎の実がその創立53周年を記念して昭和53年10月に現在地に移転した。
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宮崎神宮拝殿

御祭神は神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)。神武天皇である。
左の相殿に御父君鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、右の相殿に御母君玉依姫命(たまよりひめ)を祭る。
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鵜草葺不合尊は鵜戸神宮の御祭神である。
大正10年(1921年)1月3日、斎藤茂吉は宮崎神宮参拝している。
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一月二日。夜宮崎神田橋旅館、三日宮崎神宮參拜
宮崎の神の社にまゐり來てわれうなねつく妻もろともに
神日本磐余彦の神の御光を源として永久に興らむ
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昭和5年(1930年)9月27日、種田山頭火は宮崎神宮へ参詣している。
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帰宿したのが四時、すぐに湯屋へ、それから酒屋へ、そしてぶらぶらと歩いて宮崎神宮へ参拝した、樹木が若くて社殿は大きくないけれど、簡素な日本趣味がありがたかつた。
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