2023年京 都

前田又吉翁〜京都ホテルオークラの句〜
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京都市営地下鉄東西線「京都市役所前」下車。

京都市役所の東に「京都ホテルオークラ」がある。

長州藩京屋敷である。

ホテル西側に桂小五郎像がある。


 明治23年(1890年)、「常盤ホテル」開業。

 明治24年(1891年)5月10日、ロシア皇太子ニコライ親王殿下、来館。

 明治24年(1891年)5月11日、大津事件。

 明治24年(1891年)5月19日、常盤ホテルの落成式は中止となる。

 明治24年(1891年)5月530日、明治天皇、ロシア皇太子ニコライ親王殿下を見舞うため常盤ホテルに来館。

 明治26年(1893年)1月、前田又吉死去。(64歳)

 明治26年(1893年)10月、前田又吉銅像建立。

 明治28年(1895年)、「京都ホテル」として営業。

 平成14年(2002年)、名称を京都ホテルオークラに改める。

ホテル北側に前田又吉翁と伊藤博文公の像があった。

前田又吉翁
   
伊藤博文公

   


令和元年2018年)6月2日、除幕。

京都ホテル創業者・前田又吉翁と伊藤博文公の像

 京都ホテル創業者・前田又吉翁は1820年代後半に大阪で生まれました。

 様々な事業を経て、1873年に神戸市の諏訪山に鉱泉が出ることに着目し、温泉料亭「常盤花壇」を開業しました。

 又吉翁は、地元の名士として政財界の要人と広く交際し、明治初期に初代兵庫県知事であった伊藤博文公ともかなり親交が深かったようです。

 「常盤花壇」は、神戸における有名料亭として、大いに繁昌したそうです。その余勢で、1888年に京都の二条橋西詰上ルのこの地に、旅館「京都常盤」を開業し。これが京都ホテルの創業の年となります。

 翌1889年には、東京〜神戸間の鉄道が全通して、夜行運転も始まりました。多くの人士の受け入れのために、本格的な大ホテルが欲しいとの世論が盛り上がり、京都府が所有している勧業場跡地が候補に挙がりました。

 長州藩京屋敷は、幕末維新の混乱の際に焼失し、その後は、空き地のまま報知されていましたが、京都府は、殖産興業のために欧米の優れた技術を学び取るべく、1871年、その地に勧業場を建設し、その後10年余の時を経て一定の役割を終えたことから、勧業場は閉鎖されました。

 勧業場の払い下げには、複数の競争相手もいたようですが、最終的に又吉翁が買い受け、1890年に京都ホテル(常盤ホテル)を建設し、営業を開始しました。

 しかし、又吉翁は、ホテル開業から3年後の1893年、帰らぬ人となりました。

 生前親交のあった神戸の財界人は、又吉翁の遺徳を偲び、伊藤博文公ほか当時の政財界の貴顕から寄付を募り、銅像並びに銅像記碑を建立しました。記碑には、博文公直々の撰文が刻まれています。

 銅像は、残念ながら第二次世界大戦時に供出されたため現存していませんが、残されている当時の写真などを基に、京都ホテルの創業130周年を記念して茲に再建し、あわせて又吉翁と縁の深かった伊藤博文公の銅像を建立することといたしました。

京都ホテル創業130周年記念

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