水原秋桜子の句碑

醫学こゝに興りて高し棕梠の花



 明治43年(1910年)3月、木村緑平は長崎医学専門学校に入学。

 大正7年(1918年)12月、齋藤茂吉は長崎医学専門学校教授に任ぜられ、単身赴任。

長崎大学医学部(HP)に水原秋桜子の句碑があるというので、訪ねてみた。


医学部基礎棟横の庭園に秋桜子の句碑があった。



醫学こゝに興りて高し棕梠の花

秋桜子の自筆である。

長崎は西洋医学教育発祥の地。

以前、句碑は医学部良順会館前身である同窓会館の前庭にあった。

日本国際医学協会理事長石橋長英寄贈。

昭和55年(1980年)3月26日、除幕。

昭和56年(1981年)7月17日、秋桜子没。享年88。

 石橋長英は水原秋桜子と獨協中学・第一高等学校・東京大学医学部を通じて同期であった。獨協医科大学初代学長。

平成2年(1990年)9月25日、石橋長英没。

平成24年(2012年)6月28日、句碑移設。

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