芭蕉の句碑

『奥の細道』北 陸


庭掃いて出はや寺に散る柳

安宅の関址から北陸自動車道に入り、尼御前SAに車を停める。


尼御前SAに芭蕉の句碑があった。


庭掃いて出はや寺に散る柳

 この句は松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の夏、弟子の曽良を伴って奥州、北陸への行脚、有名な「奥の細道」の旅の途中、大聖寺町(加賀市)の全昌寺に泊まった際、弟子の曽良が病にかかり、一旦別れることとなり、翌朝出発の時若い僧侶に一句を頼まれ、折しも庭に柳の葉が散っており、曽良との別れを思い詠んだと伝えられています。

 全昌寺は五百羅漢像で有名な曹洞宗の寺(加賀インターチェンジより北西約3キロメートル大聖寺社寺群の中程にあります。)境内には昔を偲ばせるかのように柳がそよぎ一角に芭蕉と曽良の句碑が建てられています。

 春3月、江戸深川を発った「奥の細道」紀行は終着の大垣に至るまで約5ヶ月、600里(2,400キロメートル)にも及ぶ旅で、芭蕉46才の時でした。

 「弟子の曽良が病にかかり、一旦別れる」こととなったのは、山中温泉である。

尼御前SA(下り)には「むざんやな兜の下のきりぎりす」の句碑がある。

南条SAへ。

『奥の細道』北 陸〜に戻る