芭蕉の句碑

『奥の細道』北 陸


むざんやな兜の下のきりぎりす

丸岡TCから北陸自動車道に入り、尼御前SAに車を停める。


尼御前SA(下り)に芭蕉の句碑があった。


むざんやな兜の下のきりぎりす

 この句は松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の春、弟子の曽良を伴って「奥の細道」で有名な奥州、北陸の旅に出、その帰路の7月末小松の多太神社に詣でた際、源平の戦いに敗れた平家の老将、斉藤別当実盛が老いを悟られぬよう白髪を染めて壮烈な最期を遂げた時にかぶっていた兜に接して詠んだと伝えられております。

 当尼御前サービスエリアの東方一帯は源平合戦で有名な篠原の古戦場跡で、その一角の柴山潟に面した片山津温泉入口近くに実盛の首を洗った首洗い池(片山津インターチェンジより南方約2キロメートル)があり、そのほとりにこの句碑がたてられております。また首洗い池より西へ徒歩約10分の場所には実盛のなきがらを葬った実盛塚があります。

 芭蕉は春3月に江戸深川を発って奥州路をまわって秋に大垣にたどりつくまでの約5ヶ月600里(2,400キロメートル)におよぶ道のりを踏破しました。芭蕉46才の時であります。

 このほど芭蕉の奥州・北陸紀行から300年を迎えることとなりますが、奇しくも今年、北陸自動車道が全通いたします。

 これを記念し、芭蕉ゆかりの地に近いここ尼御前サービスエリアに句碑を建立いたしました。
1998年3月

尼御前SA(上り)には「庭掃いて出はや寺に散る柳」の句碑がある。

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