芭蕉の句碑

『奥の細道』東 北


有難や雪をかほらす南谷

 元禄2年(1689年)6月3日(陽暦7月19日)、芭蕉は羽黒山に登り、南谷の別院に泊まった。

羽黒山参道「三の坂」を右に折れる。

羽黒山南谷について

 ここから右手の小道約500m入ったところに県指定史跡南谷があります。(徒歩片道15分位) 南谷は俳聖松尾芭蕉が奥の細道行脚の際、門人曾良と 6日間逗留し、一句吟じた場所です。

県指定史跡羽黒山南谷


 今から約300年前(寛文2〔1662〕年)、時の羽黒山執行別当(最高責任者)天有法印が拓きました。

 当時、羽黒山頂にはいくつかの寺院があり、本社・寂光寺(今の三神合祭殿の前進)が類焼するのを防ぐためそれらの寺院を山内に下ろして移築しました。寛文2年に築かれた南谷の紫苑字もその一つで豪華絢爛な大寺院でありました。しかし、奥の方に位置するため、なにかと不便だったので、自然に迎賓館のような機能をはたすようになり、いつしか別院と呼ばれるようになりました。芭蕉の滞在所にあてられたのも、こうした関係からです。 その後、文政年間(江戸中期)に覚諄別当がこの地の静寂を愛し、しばしば句会を催したりしましたが覚諄別当隠居後はほとんど足がふみ入れられることはなく、庭園も荒れ、建物もいたみ、ついに倒壊してしまったので、その跡には八幡坂上(今の三の坂の上)にあった 玄陽院という寺を移し、秋の峰の一の宿に当てられるなどしました。

 その後、明治の神仏分離の際、全て倒壊され、今残っているのは玄陽院の一部の礎石のみです。

東屋


 覚諄別当が建立した松尾芭蕉の”有難や雪をかほらす南谷”の句碑があり、最近では環境省認定かおり風景100選にも選ばれ、俳句愛好者も多数訪れています。

芭蕉の句碑


有難や雪をかほらす南谷

文化15年(1818年)4月12日、覚諄別当建立。西大路三位隆明筆。

記念俳諧集『南谷集』(松童文二編)がある。

西大路隆明は隆良の子。前宰相・従二位。姓藤原。

寛政13年(1801年)、正月5日、従三位。

弘化3年(1846年)、67歳で没。

 また、芭蕉来山当時の南谷の風景を復元されようと地元・手向の若者を中心としたボランティアの人々により心字池等が整備・復元されたので、院をめぐって池を配し、周囲の自然を巧みに取り入れた閑寂幽邃名園の面影を偲ぶことができます。

 寛保2年(1742年)、佐久間柳居は南谷を訪れている。

   帰るさは南谷の修行寺に立よる此所は祖翁もしはし
   御滞留ありて
   雪をかほらすと有けん心の涼しさを感せられて

今更に寺はかほるや白牡丹


 明治40年(1907年)10月28日、河東碧梧桐は二の坂(油こぼしの坂)を上り羽黒山に詣でた。

道は依然として一間幅の石畳で両側は杉の並木である。鹿でも出て来そうなという。石畳が石段になり、石段が胸突のように急になって、油こぼしという坂を上ると、右手に木草の生い茂った平らがある。ここは別当屋敷の跡であるという。南谷はこの平らから左に下りた谷をいうそうな。「南谷の別院に舎して云々、有難や雪をかほらす南谷」と詠んで芭蕉が幽寂の情を尽したのはここだなと思う。


 大正14年(1925年)8月20日、荻原井泉水は南谷を訪れて芭蕉の句碑を見ている。

 随心門を入り、御祓川をわたり、杉の木立がしんしんと黒く日を蔽うている下に、苔の香のひいやりとした石段の道がつづいていた。一の坂、二の坂――。草鞋は足音を立てない、私達の金剛杖の先が石段を打つ音ばかり、カチリカチリと揃って行く。三の坂にかかる下に、

   ありがたや雪をかほらす南谷   芭蕉

この句碑が立っている。そこを右へ、すなわち南へ折れて、私達は南谷別院の跡を見に寄った。

『随筆芭蕉』(月山に登る)

 昭和38年(1963年)、山口誓子は南谷で芭蕉の句碑を見ている。

 羽黒山の斎館から参詣道の石階を下り、下る。南谷の入口がある。左へ三町ほど入って行く。道々、第五十代別当天宥法印が遠く吹越沢から水を引いた石戸樋が残っている。その水を湛えて泉水を営んだ。いまは水浅く、芭蕉の見た泉水ではない。樹々は伸びて、芭蕉の見た樹々ではない。

 緑蔭に礎石が四方を劃している。それが芭蕉の泊った別院の跡だ。明治維新の神仏分離のとき、解体して山の下に移したのだ。

 句碑はその庭に立っている。自然石。

   有難や雪をかほらす南谷

 この句碑を見たとき、私は、芭蕉が来た六月三日(陽暦七月十九日)に、南谷に雪があることを不審とした。同行の天野千春氏(出羽三山社務所教育部長)は、芭蕉の時代は樹々低く、月山がいきなり見え、その残雪が見えたと云われたので、この句を解し得た。

 「雪をかほらす」は、月山の残雪を薫らす風が南谷へ吹いて来たのだ。雪の「薫風」なのだ。

 句碑の建立は文化十五年か。大胆不敵な書だ。

『句碑をたずねて』(奥の細道)

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