2017年高 知

佐川町〜牧野富太郎先生生誕之地〜
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佐川町甲に「牧野富太郎先生生誕之地」があった。


 理学博士牧野富太郎先生をたたえてむかしここに、岸屋という大きな酒造りの家がありました。文久2年(1862年)、牧野富太郎先生はこの家に生まれました。子供のころから、友達と遊ぶより、草や木を友として遊ぶのが好きでした。

 10歳のころ名教館(めいこうかん)で勉強し、後に小学校に入学しましたが2年でやめ、それからはすべて自分で、むずかしい英語やラテン語などの勉強をしながら、植物の研究をつづけました。

 東京大学での研究中は、独学であったためたいへん苦しい研究の連続でした。先生はその苦しさをのりこえて『日本植物誌』『牧野新日本植物図鑑』など、りっぱな本をつぎつぎと著わし、世界でも有名な植物学者となりました。

 後には日本学士院会員に選ばれ、亡くなってから文化勲章をうけられました。

草をしとねに木の根をまくら花を恋して50年

このうたのように先生は、自分のすきな植物学の研究のために95年の一生を捧げました。

佐川町

牧野植物園の文学碑には「九十年」とある。

青山文庫


―佐川文庫庫舎(旧青山文庫)―

 この建物は明治19年(1886年)、須崎警察署佐川分署として上町地区新築されます。当時公共建築に多く見られた擬洋風の木造2階建で高知県下最古の木造洋風建築物といわれています。

 昭和以降、青山文庫閲覧室・民具館・佐川文庫庫舎と移築や用途を変えながらも町民により守られ、平成21年(2009年)、再び上町に移築されました。

 館内には歴史を綴ったパネル展示をはじめ、警察制服レプリカ(試着可)等があります。どうぞご自由にお入りください。

佐川文庫庫舎(須崎警察署佐川分署)建物の歴史

明治19年(1886年)、須崎警察署佐川分署として上町地区新築。

大正11年(1922年)、佐川警察署に名称変更。

昭和5年(1930年)、青山文庫の会堂兼特別閲覧室として、西町に移築。

昭和43年(1968年)、佐川文庫に名称変更。

昭和48年(1953年)、佐川町文化財に指定。

昭和53年(1978年)、民具館として文化センター敷地内に移築。

平成21年(2009年)、上町の現地に移築、復原。

旧浜口家住宅


登録有形文化財である。

啄木の父石川一禎終焉の地へ。

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