2022年高 知

桂 浜〜高知灯台〜
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 今日はワンコインデーということで、南はりまや橋から「とさでん交通桂浜線」で龍馬記念館前へ。

昭和30年(1955年)12月、山口誓子は土佐に旅行、桂浜を訪れた。

燈臺光椿林にあたり散らす

燈臺の轉光椿林潛る

冬の夜を燈臺競ふ南國は

『構橋』

高知灯台


 高知灯台は、明治16年6月1日に高知県が竜頭崎灯台として現在の高知市浦戸竜頭崎に設置、点灯されました。

 昭和24年5月15日海上保安庁に移管され昭和41年6月1日高知灯台と名称が変更になり昭和46年3月全面的に改築し、現在の位置へ移設されました。

うつぎの小径を下る。


竜王岬


太平洋


桂 浜


竜王岬の海津見神社が見える。

桂月先生記念碑


碑の側面


見よや見よみな月のみのかつら浜海のおもよりいづる月かげ

田中桃葉記念碑


昭和18年(1943年)7月、建立。

 田中貢太郎(1880年〜1941年、筆名・桃葉)は高知市仁井田(当時長岡郡)生まれ。

 教員、新聞記者を経て上京。 実録もの「田岡嶺雲、幸徳秋水、奥宮健之追懐録」で文壇にデビュー。 明治の変革期を背景にした「旋風時代」は大阪毎日新聞、東京日日新聞の両紙に連載され、その反骨の筆づかいとともに昭和初期の洛陽の紙価を高らしめた。代表的な作品として他に「模範村長」「明治叛臣伝」「日本怪談全集」等がある。

 貢太郎は早くから大町桂月に随行して酒を愛し、桂月亡き後、桂月酒供養の端諸を開いたが、自らは、「博浪沙」の一党を率いて、近代土佐文学の系譜を形作った。最後のことばは、「なんちゃじゃなかったきにのう」といわれる。

師・大町桂月と弟子・田中桃葉の俳句


海万里入道雲の影白し
   桂月

夾竹桃の紅い花のだらけ波の音
   貢太郎

田中桃葉は、大町桂月と師弟関係にあり、2人の直筆の作品が掛軸として残されている。

地蔵前バス停まで歩く。

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