2020年高 知

土佐勤王の志士「脱藩の道」〜維新の門群像〜
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梼原町の国道197号は、土佐勤王の志士「脱藩の道」である。

日本の道百選 土佐勤王の志士「脱藩の道」


 梼原は、中世より津野山郷として、豊かな自然に育まれ、温かな人情と特色ある文化創造の歴史を築いてきた土地である。

 また、この国道197号は「津野山街道」と呼ばれた時代より、多くの名僧・賢人が往来した道であり、殊に幕末には近代日本への夜明けを求めて坂本龍馬をはじめとする土佐勤王の志士達が旅立ちした「脱藩の道」でもある。

 四国が島でなくなろうとする今、我々は、この道を明日に向かう「維新の道」として、地域発展のために活かさなければならない。

梼原町梼原に「維新の門群像」がある。


平成7年(1995年)11月11日、建立。

維新の門群像建立趣旨

 近代日本の魁となった土佐勤王党の志士の偉業は、筆舌に尽くし難く、誠に偉大なものであります。

 維新の里といわれる檮原からも、吉村虎太郎、那須信吾、那須俊平、前田繁馬、中平龍之介、掛橋和泉の六志士を輩出し、又、維新回転の立役者である坂本龍馬も風雲急を告げる中、盟友澤村惣之丞と共に当地の那須邸に投宿し、酒を酌み交わしながら時局を談じた後、那須父子の案内で韮ヶ峠を経て土佐を脱藩し、維新回転の奔流に身を投じました。

 これに前後して、土佐勤王党の数多くの志士たちも、宮野々関門を経て九十九曲峠を越え、激しい時代のうねりの中に次々と散華してゆきました。

澤村惣之丞と坂本龍馬


 幕末の風雲急を告げる文久2年(1862年)春、坂本龍馬は、勤王郷梼原から那須俊平、信吾父子の案内で盟友澤村惣之丞とともに、回転の偉業を夢見て脱藩した。この地からも吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之介が国境を越え維新動乱の渦中に身を投じた。また、これらの志士を身を賭して支える掛橋和泉があった。

 それから年を経ること6年、明治維新は成り、近代国家が誕生するが、そのとき既に8人の志士は壮絶な死を遂げていた。

 いま山中に残る脱藩の道を行くとき、新しい時代の到来を信じ、大きな夢を抱いて峻険を駆け抜けた男たちの決意が偲ばれる。

 ここに志士の足跡が残る地を選び、八志士の群像を建て「維新の門」と名づけ、その功績と英姿を永遠に伝える。

 近代日本の黎明は、この梼原の地より輝いた。その郷土を誇りとする青年たちの情熱と維新の里の発展を希求する町内外の数多くの有志の熱き思いが、この群像を建立した。

道の駅「ゆすはら」は標高520m。

寒かった。

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