

| 1600年、徳川家康に味方する東軍と反徳川派の西軍が美濃国(現在の岐阜県)関ケ原で対峙。島津軍は西軍参加するも、勝敗は半日を待たず東軍の圧勝で決着します。約1500名と少ない兵士の島津軍は戦場に取り残され周囲を敵に囲まれていました。決戦を迫られた義弘がとった行動は、敵の本陣を突っ切り撤退するという大胆なものでした。甥の島津豊久など多くの家臣を失いながらも、命からがら故郷薩摩へと逃げ延びた兵士はわずか数十名でした。 |

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第17代島津家当主島津義弘公は、薩摩の武骨を天下に示すべく、慶長5年関ケ原の戦で敵に背を見せじと敵中突破を敢行し武名を轟かせた。 朝鮮戦役後には高野山に敵味方の供養塔を建ててその霊を弔った。これが心は日本赤十字精神の嚆矢となったといわれる。 公は神仏を尊崇し学問を勧め、また連歌・茶道にも造詣深く、薩摩焼の礎を開くなど文武兼備の名君であった。 この像は「薩摩の心」と銘し、永風を永く伝えんために新町発足30周年を記念せて町民の浄財により建立したものである。 |
| 平成17年(2005年)5月1日、伊集院町は東市来町・日吉町・吹上町と合併し、日置市となった。 |
