2020年鹿児島

特攻碑公園〜「雲の墓標」〜
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出水市平和町に特攻碑公園がある。

知覧ばかりが有名だが、特攻基地は九州各地にあった。

慰霊碑


雲こそ
わが墓標
落暉よ
碑銘を飾れ

阿川弘之の小説「雲の墓標」から取ったもの。

阿川弘之唯一の文学碑である。

阿川佐和子は長女。

海軍出水航空基地の歴史

 海軍出水航空基地は、第三次海軍軍備拡張計画によって昭和12年に畑、山林、宅地など約百ヘクタールの土地の買収が始められ、昭和16年12月8日に太平洋戦争が始まると高尾野方面にも拡張され、基地の面積は、3百ヘクタールにも及びました。昭和16年8月中旬に本格的な戦争準備が開始されると、艦上攻撃機隊が真珠湾攻撃の準備のために訓練を行いました。この部隊は空母「蒼龍」・「飛龍」に収容され、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃に参加しました。

 その後は練習航空隊として、昭和18年4月1日に出水海軍航空隊が開隊発足しました。

 昭和19年8月15日には、飛行機の整備教育を行うために高尾野町下水流に第二出水海軍航空隊が開隊し、同19年10月には戦局の悪化に伴い出水で763航空隊(銀河部隊)が開隊しました。昭和20年3月には実戦部隊と共存していた訓練中の甲飛13期練習生は、光州に移動したため、出水基地は、戦闘部隊の基地として利用されるようになりました。

 昭和20年2月に日本海軍は第五航空艦隊を編成し、出水には銀河隊攻撃405・406飛行隊が配置され、昭和20年3月18日以降特別攻撃が始まり、散華された特攻隊員は200余名と言われています。

 出水基地への空襲が始まったのは昭和20年3月18日、米軍空母フランクリン等から発進した艦載機によって飛行場施設や兵舎に甚大な被害を受け、4月17・18日には大型爆撃機による攻撃で格納庫・滑走路などに致命的な損害を受け、付近の民家も被爆し、多数の死者を出しました。同月21・22日には油脂爆弾・時限爆弾の攻撃により、基地は壊滅的な被害を受け、その後も空襲は続きましたが、8月1日の出水アルコール工場の爆撃を最後にアメリカ軍の空襲は終わりました。

海軍航空出水基地


陸攻隊銀河隊

出撃之地

防空壕


この防空壕は、昭和19年に開設された地下戦闘指揮所の地下壕です。

空襲の激化に伴い、この郷内から全ての戦闘指揮がなされました。

豪の入り口は4箇所ありましたが、その内2箇所は空襲により破壊されました。

出水市教育委員会

プロペラ


大戦中近海で沈んだ彼我の飛行機は数多いが、戦後出水地先の海中において魚網にかかった友軍機のプロペラの一つである。

訪れる人もなく、子供の遊び場になっていた。

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