特攻機は、遂に帰って来ませんでした。 国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら、勇士は征ったにちがいありません。 特攻像「とこしえに」は、全国の心ある人々によって建てられました。 |
み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつゝ りりしい姿を永遠に伝えたい心をこめて あゝ 開聞の南に消えた勇士よ |
製作 | 日展審査員 伊藤五百亀先生 |
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除幕 | 昭和49年5月3日 |
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建設 | 知覧特攻慰霊顕彰会 |
やすらかに |
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特攻隊の若い命は再び帰らず。 |
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出陣の時間まで求めたであろう母の姿。 |
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この晴れ姿をせめて母上に一目 |
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最後の別れと、お礼を一言。 |
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胸も張り裂けそうな、その心情は |
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母もまた同じであったろう |
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今ここに立つ母の姿 |
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とこしえに母と共に安らかに |
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母の温かいみ胸で |
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御霊の安らかならんことを |
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世界・平和を祈念して。 |
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昭和61年3月30日 |
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熊本県芦北町 前田将 |
ほたる火となりときませるつはものをなごしまつらむ |
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返し歌 |
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わたつみの宮のうたげは楽しくあれどやまとしおもはばうれへなげかゆ |
かつて日本が、世界の列強と戦火を交えた時、皇国の必勝と民族の不滅を信じ、 爆弾を抱え敵艦に突入した幾多の若者がある。 しかし一人の勇士が出撃の出撃前夜の誓いのごとく蛍となり知覧に帰った逸話は、全特攻隊員の悲愴な真情ではなかったか。 今ここに彼等の武勲を称え、次の世に語り継ぐべき、祭りの歌を捧げる。 また志を同じうし、殉国の途にあった、我等若き日の生き御霊を記念し、大ロマンの忠魂碑とする。 |
朝鮮半島出身の特攻11名のみ霊をお慰めするためにこの歌碑をたてました |
平成11年(1999年)10月23日、千葉県我孫子市村山祥峰・江藤勇建立。 |
“特攻の母”として知られる鳥濱トメさんの視点から、若き特攻隊員の無残にも美しい青春を描いた、映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」(2007年5月12日公開作品、製作総指揮・石原慎太郎)で実際の撮影に使用された「隼」。 |
大東亜戦争(戦後は太平洋戦争ともいう。)において、陸軍の主力戦闘機として活躍した一式戦闘機「隼」V型甲をモデルに当時の資料や少飛会の姿見を取り入れて、忠実に復元製作された。 「隼」は当時知覧の特攻基地からは九七式戦闘機に次いで多い120機が飛び立っている。
(平成19年2月設置 南九州市) |