昭和5年(1930年)5月19日、月明かりの播磨灘で投身自殺した春月の海図の詩碑です。遺体が発見されたのは6月11日でした。 春月(本名:清平)は、明治25年(1892年)、米子市の皆生温泉で生まれました。16歳のとき東京に出て、同郷の生田長江の書生となり、詩人佐藤春男と同宿しました。25歳で詩集『霊魂の秋』を出版、その後「ハイネ詩集」などの翻訳を出しましたが、全て独学でした。作品には、小説「相寄る魂」「春月小曲集」「春の序曲」など。 38歳のとき瀬戸内海を航行中の「すみれ丸」から投身自殺をしました。
小豆島町教育委員会 |
甲板にかゝってゐる海図。―これはこの内海の海図だ―じっとそれを見つめてゐると、一つの新しい未知の世界が見えてくる。 普通の地図では、海は空白だがこれでは陸地の方が空白だ。たゞわずかに高山の頂きが記されてゐる位なものであるが、これに反して海の方は水深やその他の記号などで彩られてゐる。これが今の自分の心持をそっくり現わしてゐるやうな気がする。今迄の世界が空白となって、自分の飛び込む未知の世界が、彩られるのだ。 |
壺井栄は、1899年8月5日、香川県小豆郡坂手村に生まれた。壺井栄が幼い頃よく遊んだこの向いが丘は、壺井栄の思い出の地である。 1925年に上京し、同郷の詩人壷井繁治と結婚、1938年「大根の葉」によって作家生活に入り、「暦」「石臼の歌」「二十四の瞳」などの代表作をはじめ、數多くの作品によって、庶民生活の哀感の中から未来への希望を失わない世界を描き出し、日本の文学に新しい頁を加えた。 1967年6月23日、67歳でその多彩な生涯を終えた。命日には、壺井栄の業績を顕彰し、県内の児童・生徒の文芸資質の向上と発展を図るために創設された「壺井栄賞」の授与式が文学碑の前で行われている。 桃栗三年 柿八年 柚の大馬鹿十八年 壺井栄 文学碑に刻まれている諺(ことわざ)は、生前よく壺井栄が色紙などに書いていた諺(ことわざ)から選んだものである。碑の周辺には、壺井栄好みの阿波藍染用の瓶や石臼等が配置されている。 この碑の海側には、壺井栄が帰郷の度に花と水をもって訪ねた生田春月の碑がある。その様子は、壺井栄の随筆「海辺の村」や「まずはめでたや」等に詳しく書かれている。
小豆島町 |
桃栗三年 柿八年 柚の大馬鹿 十八年 |