菊池寛(本名ひろし)は、明治21年(1888年)12月26日、高松市7番丁6番戸の1に生まれました。県立高松中学校をへて、大正5年、京都大学英文科を卒業しました。 そして、昭和23年3月6日に59歳で亡くなりなした。 主な作品には、藤十郎の恋、父帰る、恩讐の彼方に、義民甚平兵衞、屋上の狂人などがあります。 昭和31年10月24日、顕彰会が中央公園内に銅像を建てましたが、その上半身の原型がこれです。 なお、生家跡は中央公園の南側にあります。
菊池寛顕彰会 |
菊池寛は市民が敬愛してやまない、郷土が生んだ巨人です。彼は文学・演劇界に輝かしい一時代を築きました。また、文藝春秋社を興して、「文藝春秋」「オール読物」などの雑誌を発行しました。その活動をとおして多くの新人を育て、また著作権者の地位の向上に尽し、現在の雑誌ジャーナリズムの基礎的方法を創出しました。 この菊池寛の偉業を顕彰して、記念館をここに設立するものであります。 |
将棋は、あまりに勝たんとすると勝てない。人生も、」あまりに成功を急ぐと、多くは事を誤る。しかし、将棋も、あまりに退嬰萎縮すると、敵に圧迫される。人生もあまりに、控目にしてゐると、人から黙殺される。
『日の出』(昭和9年7月号) |