2022年〜香 川〜
平賀源内記念館〜そうだったのか!?源内さん〜
天智の昔、唐の高宗皇帝の妃(藤原鎌足の娘)から藤原氏の氏寺である興福寺へ送られる途中の面向不背の玉が、志度浦で龍神に奪われた。藤原不比等・淡海公)は、この玉を取り戻そうと、身分を隠して志度を訪れ、海女と契りを結び、一子房前(ふささき)を儲けた。淡海公から事情を聞いた海女は海に潜り、龍神と闘い、遂に玉を奪い返したが、哀れにも眞珠島で命を果てた。 後年、大臣となった房前は行基を連れて志度を訪れ、志度寺を再興し法華八講を修め、千基の石塔を建て、亡き母の菩提を弔った。志度寺には悲恋のヒロイン海女の墓があり、毎年海女の命日には法要が行われ、十六度市が立ち,千三百年の昔を偲ぶ供養が今に続けられている。
讃岐国志度道場縁起文より |
長崎から持ち帰り7年間かけて復元した「エレキテル」の他、幼少期から晩年までの源内の様々な功績を一堂に展示しています。 源内の一生を説明したビデオコーナーの他、体験コーナーでは、レプリカのエレキテルで静電気を体感できます。 |
源内さんは妹夫婦に家と母を委ねて江戸に出て行きました。江戸から平賀家にあてた書簡には母のことや妹への気遣いが見られ、家族思いの心優しい一面がわかります。(平賀源内記念館展示) |