志度寺の塔頭である当院(真言宗善通寺派)の御本尊は、不動明王であるが、正面は、弘法大師をまつっている。 これは当院本堂の場所は、元志度寺の御影堂(弘法大師をまつる)の跡とも伝えられている。 当院は、天正年間(約420年前)に志度に来住し繁栄した摂津兵庫県の豪族多田和泉守一族の創建になる。 さぬき良寛さんと呼ばれている竹林独雄上人は、天明4年(1784年)に第七代目の住職となった。 上人は、人に衣食を分け与え、子供ともよく遊び、蟻をふまなかったり、蚊に、自分の血を供養したりした。 また、純無垢な上人の書画にもみるべきものがある。 平賀家は、当院の檀家である。源内さんは本草学薬草研究の他にエレキテル、火浣布、平線儀、寒熱昇降器等の創製、鉱山開発、西洋画、陶法伝授等でも有名である。 源内さん(安永8年・1779寂)のお墓は、門を入り右側にあります。 源内さん、竹林上人についての詳しい印刷物は、本堂の前においています。
志度 自性院 |
自性院常楽寺は平賀家の菩提寺。 没年 1779年12月18日 戒名 「知見霊雄大居士」 この寺では毎年12月18日頃に、源内さんを偲んで追善法要が営まれており、多くの方が参列しております。 |
竹野二郎翁は東讃志度に世を享け徒手空拳刻苦精励してよく産をなし竹野株式会社を創立し実業界に尽す。 翁は幼時志度寺先師龍澄和尚の愛顧を受けたるに酬いんとして志度寺堂宇の改築整備に力を致されたるが、世界平和、万民豊楽、寺門興隆に資せんと五重大塔建立の大願を発し昭和四十八年より三ヶ年の歳月と巨費を擲って夢魔完成し昭和五十年五月十八日落慶供養を修す。まことに報恩の塔と謂うべきなり。 これにより寺観一入荘厳を増し浄土の相具わる誠にこれ報恩の居士篤信の檀越に非ざらんや。 茲にその徳を頌す。
総本山善通寺法主善隆誌 |
県指定の有形文化財で、本堂・仁王門と同時期の寛文11年に初代高松藩主で水戸黄門の兄である松平ョ重公がにより建立された。 閻魔の像は、金箔などで彩色された鮮やか内部建築の内に司録、司命を従えたもので冠に特徴があり、志度寺の御本尊である十一面観音菩薩同様に化仏他十のお顔を持つ全国でも珍しいものである。 通常閻魔は地蔵菩薩の化身と言われているが志度寺では御本尊の十一面観音菩薩と御同体と伝わっており、国の重要文化財「志度寺縁起」において当寺復興の話の際に度々登場する。 |
源内さんが「風来山人」というペンネームで初めて手掛けた長編戯作(文芸小説)『根南志具佐(ねなしぐさ)』五巻には、閻魔大王が登場します。これは、江戸で志度寺の閻魔様への想いを寄せて書かれたと思われ、題名にも「根は南の志度」の文字が使われています。 この他、志度寺には源内さんの俳諧の師である椎本(甘泉庵)芳室の文塚と渡辺(三千舎)桃源の松風塚が薬師堂南側に並び立っています。 |