それより最上川を舟に乗て白糸の滝を過る文月七日の吟
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鵲はたのまじふねの最上川
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織姫の筬を貯てや滝の糸
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宝暦5年(1755年)4月25日、南嶺庵梅至は清川村で舟に乗り、白糸の滝で句を詠んでいる。
宝暦10年(1760年)4月21日、山形の俳人雨声庵山皓は白糸の滝で句を詠んでいる。
明治26年(1893年)8月9日、正岡子規は芭蕉の足跡を訪ねて最上川を下り、白糸の滝で歌を詠んでいる。
大正14年(1925年)8月19日、荻原井泉水は最上川を下り、白糸の滝を見ている。
しかし、殆んど一日の炎天に照らされて渇いて来た私達が、ここに来て初めて清水の音を聞いた嬉しさは何と云おう。私達は舟を寄せて、その水を飽くまですすったことであった。と、かなりの高さの瀧が一つ、うすく岩肌の上にもつれかかっているのが仰がれる。それが「白絲の瀧は青葉の隙々に落ちて」という白絲の瀧だった。
『随筆芭蕉』(最上川を乗る)
昭和2年(1927年)10月、小杉未醒は「奥の細道」を歩いて、古口から最上川を下った。
仙人堂、大杉のむら立つ中に、陰々として苔をかついだ茅の屋根、船を寄せて、しとみ格子から差し覗くと、天狗の面など飾りあり、何を祀つたものやら、船頭に問へば、唯、御仙人様だと云ふ、常陸坊海尊の傳説もあつたと覺えて居る、同じく義經の話も此の川筋にあつた筈、白糸の瀧、さらさらと山を下つて直ちに川に入る、
昭和31年(1956年)6月月5日、高浜虚子は白糸の滝を見ている。
清川小学校へ。
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