『奥の細道』東 北


〜追分明神〜

白河関の森公園から県道76号坂本白河線を行く。


福島県と栃木県の県境は関東と奥州の境である。

従是北白河領


ここに追分明神がある。


 「追分の明神」は「境明神」ともよばれている。創立は古く、延暦10年(791年)坂上田村麻呂が征夷の途次に勧請したものと伝えられている。

『曽良随行日記』に「追分ト云所ニ関ノ明神有由」とあるのが追分明神であろう。

〇白河ノ古関ノ跡、籏ノ宿ノ一里程下野ノ方、追分ト云所ニ関ノ明神有由。相楽乍憚ノ伝也。

『曽良随行日記』

義経伝説

 治承4年(1180年)8月、兄の源頼朝(1147−1199)が伊豆に平家追討の旗を挙げたことを遠く奥州平泉できいた源義経(1159−1189)は、矢もたてもたまらず、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)(?−1187)にお願いして鎌倉に上ることにしました。

追分明神は義経が平家追討の祈願をしたところ。

ところで、県道76号坂本白河線と平行して国道294号(旧陸羽街道)がある。


そして国道294号(旧陸羽街道)沿いにも「境の明神」がある。

一 芦野ヨリ一里半余過テヨリ居村有。是ヨリハタ村ヘ行バ、町ハヅレヨリ右ヘ切ル也。

一 関明神、関東ノ方ニ一社、奥州ノ方ニ一社、間廿間計有。両方ノ門前ニ茶屋有。小坂也。これヨリ白坂ヘ十町程有。古関ヲ尋テ白坂ノ町ノ入口ヨリ右ヘ切レテ籏宿ヘ行。廿日之晩泊ル。暮前ヨリ小雨降ル。(籏ノ宿ノハヅレニ庄司モドシト云テ、畑ノ中桜木有。判官ヲ送リテ、是ヨリモドリシ酒盛ノ跡也。土中古土器有。寄妙ニ拝)

『曽良随行日記』

 元禄2年(1689年)4月20日(新暦6月7日)、芭蕉は「芦野」から「ヨリ居」を経て「関明神」を訪れる。

「関明神」が「境の明神」であろう。

芭蕉が訪れたは国道294号(旧陸羽街道)沿いの「境の明神」ということになる。

芭蕉は「関明神」から「白坂」へ。右に曲がって「籏宿」へ行き、20日の晩泊まる。

翌21日、芭蕉は白河の関を訪ねる。

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