呉港 |
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呉かあらぬ |
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春の裾山 |
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灯を灯す |
この句は、明治28年3月9日に、友人古嶋一雄が海軍従軍記者として、軍艦松島に乗り組んで出征するのを見送るため、呉を訪れた正岡子規が詠んだ3句のうちの1句です。当時は、広島と呉を結ぶ鉄道は未開通だったので、子規は宇品港から船で呉の川原石港へ向いました。呉軍港入口のウルメ島附近にさしかかったとき、正面に見える休山山麓の日暮れの情景を詠んだ1句と思われます。 この句碑は、昭和33年12月に、宮原地区有志により、 約90メートル南西の交叉点中央部に建立されましたが、道路改良のため昭和53年に現在地へ移設したものです。なお、句碑の文字は、子規の直筆を写真版から復刻したものです。
呉 市 |
ほそぼそと虧けたる月に対ひつつ |
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戦は竟に寂しきものか |
戦前、ここは呉鎮守府第三門の隣接地で、戦艦大和など大型艦の建造や修理に使われた呉工廠造船部、呉鎮守府そして呉軍港全体が一望できる高台であることから、海軍用地と民有地の境界には高いレンガ塀が設置されていました。 戦後、レンガ塀脇は草地でしたが、昭和44年(1969年)に「噫戦艦大和之塔」が建立。昭和53年(1978年)に子規句碑が移設され、昭和57年(1982年)の道路拡張工事に伴い整地され、レンガ塀も解体されて現在の姿になりました。 整備と同時に建てられたのが「旧呉海軍工廠跡記念塔」で、この場所もその眺望から呉の歴史をたどれる高台という意味で「歴史の見える丘」と名づけられました。 翌年には、明治期の呉の実力者澤原為綱(ためもと)翁の銅像台座が二河公園から移設されています。平成時代になってからも、戦死したアララギ派歌人渡邊直己(なおき)の歌碑、戦艦大和を建造したドッグの石を使った「造船船渠記念碑」などが建てられています。 |