栗田樗堂
『爪しるし』

天明7年(1787年)、栗田樗堂が京都・大和・尾張を巡った紀行文。
『暁台七部集』の一つ。暮雨奄暁台序。
千里の游魚江上の花影を潜(カツイ)て洋々としてまた遠く行々行て月下に臥し浮んて月下に躍るたのしひ哉おのれ無聲にして人をして其吟咏をなさしむ游子よく無聲の情にかなふ言々句々うべや一笑の實をうたふ倦て藻中にひそむ人乎魚乎
天明七丁未夏暮雨巷 曉 臺 書
青陽我を率て千里の情をすゝむるよりやかて杖の長クおし切り足ゆひかためまつ門出の戯れにへたと落書して
花に行く我を忘れな此柱 二疊菴 蘭芝
おほくはすなりける旅日記といふも我はせすもあらむ數ゆく日次にたゝ思ひよれるはしはしはかり爪しるししてあやもきれきれのすちりもちりにみちかき筆さしぬらさんと思ひ立る其日はまついひしるすへき事もあらす
風早の沖の汐あひ高からすいたくに走りつゝいつしか備中水島灘をわたる彌生の空いとなこらかなりけり
雲霞聲をほにあけて鳥一羽
須磨浦
芋植て猪追ふ須磨の遠火哉
日あらす都にまうのほりてひと日今宮のまつり見にまかりけるにいまやわたらんといへる折しも往かふ人のかきりみな足をそらさまになしけるこそをかしけれ
やすらひの花にも人よ西ひかし
西上人のしはし幽棲ありし双林精舎の花のもとを尋るにことこたふへき人もあらすたゝ袖のみそ露けかりける
骨とみるものもなし何をよふこ鳥
花の名殘今幾日あらん大和の奥なつかしけれは都のやとりをわきへとさためて又是よりそ旅たちける
難波のくたりひと日住よしの浦に遊ふ
幾春を蛤活よ松のつゆ
紀伊の國にわたらんとて舟を粟嶋の社頭にとゝむ
わらは女か海苔掻袖やむかし雛
吹上のうらつたひして
吹井かた春風白し蟹の甲
紀の川はみなもと金の御嶽より出るよしいともおそろしき早瀬なりけり
花喰ひに紀の川のほれさゝれ鮎
けふは夜をかけてとまりをたちしけ木かもとくらくあかく高野の御山に登つきて猶奥院に分入る此あたりおのつから人語稀に飛鳥花を啣て清く孤月空林に落て物みな凄寥たるけしき誰か暫時不染の心なからん
曉のなつ寐佛や春の山
女人堂
鶯のなく泪みん女人堂
南都は一しほなつかしきみ所のおほくてこゝろひかれけれはひと日ふた日とゝまりてかなたにめくりこなたに往かふ香閣所々に兀突して坊含甍を並へしまて皆是此地の壯觀なりしにものに衰廃の時遇て多くは千載の叢にとゝめ只村老の口稱に有のみ
酸漿の花に文字踏む瓦哉
春日野のゆかりある社務何かしの許にやとれは
笋に小鹿こもれり裏の山
花の露そふ井手の渡り過て宇治の里に出る頃は夕闇の空おほつかなく橘の小島の色も物のあやめのわきかたけれは猶翌のことにして臥ぬ
橋守のつら杖こけて啼水鶏
卯月廿日あまり都のやとりへかへりのほりてしはらく閑地に所勞をやしなふ
下京
月殘淺瓜白し市の露
北山に杖をひく日寂光院に立寄り侍るになま若き尼前の出來りて古きはしはしかたり聞ゆれは池の汀のたゝすまひまて更に女院の御ありさま双眸にうかみていかにもこゝろ澄むへき清淨の地暫し墻外に小草を捻て思ふ處たゝ草頭の露
日の夏や葎をのほる蝶の息
大原の里猶深く尋ね入りてかの在中將の雪をはらひし世の哀さもひとかたならす聞えし惟喬御子の古廟を拜す
卯の花の雪踏てすゝる泪哉
夏の日もはや横川の杉の木末に凉しくしはらく講堂の庭に笠うち敷て一日の苦熱を忘るひと日雨後の天快く晴わたりけれはいさとて鞍馬寺へまうて侍る例の足いたの道よろよろとせんすへもなくかろうして貴船川に出るに黄昏を過たり
古は魂か茂み暮行貴船の火
端午
ものゝはや旅にしあれは粽さへ
梅津かつらの堤つたひに西野の逍遥五歩に憩ひ十歩に吟す
撫子の花手にすえむ風情哉
北嵯峨
暮行や麻にかくるゝ嵯峨の町
寓 居
めてたくも人六月の命かな
そか後の事は暮雨巷の阿叟に供せられて尾陽にくたるへき心いそきにやみぬ
伊豫の國松山の蘭芝大和の國めくりしてふたひ都に歸りのほりともしかくもし書集し日記やうのものをみるにおもひさすはしはしよく心かよひて聞えけれは
袖にみん御吉野の蚤三輪の蟻
| | 曉臺
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月は有明明暮の夏
| | 蘭芝
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水めくる家尻に石を積かけて
| | 臥央
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大竹なんと鎌て割く也
| | 佳棠
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名 録
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薪盡て門を出れははる日哉
| 平安
| 蘭更
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寒の雨其夜を猫のみたれ聲
| | 臥央
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柳みとりして干潟近くもみゆる哉
| | 百池
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竹の子や月に音なき相國寺
| | 佳棠
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待 戀
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幾たひか砧うちやむよそ心
| 平安
| 几董
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文 通
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秋の夜の明てもしはし月夜哉
| 名古屋
| 士朗
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五月雨におもへは遠き昨日哉
| | 羅城
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凉しさや夜る鳴ものは秋の聲
| | 桂五
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人の家の裏から出たり春の山
| | 岳輅
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野あらしやはらはら虫の草移り
| | 白圖
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