茶屋本陣は、江戸時代の上級武士や公卿の喫茶や昼食、あるいは関所の時間待ちなどのために宿場と宿場の間に設けられた休息所である。この茶屋本陣は、旧中山道に面して位置し、居住部分である主屋(18世紀中期建造)に接続して、別棟で離れ座敷として19世紀初期に増築されたものである。
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昭和37年(1962年)、「オザシキ」が群馬県指定史跡に指定。
上段の間
宝暦7年(1757年)、日光例弊使五條宰相菅原為成が立ち寄っている。
享和2年(1802年)4月4日、太田南畝は豊岡村を過ぎて烏川を渡る。
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豊岡村をすぎて右に大日堂あり。ゆきゆきて右のかたにみゆる城は高崎なるべし。高崎川をわたる。からす川ともいふ。
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文久元年(1861年)、皇女和宮下向の際、公卿などが立ち寄っている。
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襖 絵
オザシキノニワ
平成8年(1996年)、群馬県指定史跡に指定。
県指定の茶屋本陣は松井田町の五料と横川にも現存する。
旧中山道は上豊岡町で国道18号に合流する。
上豊岡町の浅間神社の向かいに一里塚があった。
群馬県で唯一の残っている一里塚で、江戸日本橋から28里にあたる。
樹齢380年といわれる榎だそうだ。
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