2006年群 馬

見通灯篭〜旧中山道〜

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国道17号で神流川を越えると群馬県。


国道17号は中山道。旧道の分岐点に見通灯篭が再建された。

見通灯篭


見通灯篭再建之記

 上武二州の国境を流れる神流川は往昔より荒れ川で、出水毎に川瀬道筋を変え、夜道の旅人や伝馬人足の悩みの種であった。新町宿本庄宿の役人達は兼ねてより通行人の難儀を憂え、川の両岸に灯篭を建て毎夜火を点じて通行人の安全を計ろうととした。新町宿ではほとんど10年間も建設費用を貯え、文化12年に灯篭を建立するに至った。偶(たまたま)高瀬屋に泊った俳人一茶の12文寄進した話は『七番日記』に誌されて余りにも有名である。時の人々は見通灯篭と親しみ呼んで、多年その恩恵に浴したのであった。

「余りにも有名」と言うが、ほとんど知られていないと思う。

 文化7年(1810年)5月11日、一茶が川留で新町の旅籠高瀬屋五兵衛に宿泊していると、神流川岸に建てる石灯籠の寄進を強要され、12文を寄進した。群馬銀行新町支店の先に旅篭高瀬屋跡がある。

新町 高瀬屋五兵衛に泊

 雨の疲れにすやすや寝たりけるに、夜五更のころ、専福寺とふとく染めなしたる挑灯(でうちん)てらして、枕おどろかしていふやう、「爰(ここ)のかんな川に灯籠立て、夜のゆきゝを介(たす)けんことを願ふ。全く少きをいとはず、施主に連れ。」とかたる。 「かく並々ならぬうき旅一人見おとしたらん迚(とて)、さのみぼさちのとがめ給ふにもあらじ、ゆるしたべ。」とわぶれど、せちにせがむ。さながら罪ありて閻王の前に蹲るも、かくやあらんと思ふ。十二文きしんす。

   手枕や小言いうても来る蛍

『七番日記』(文化7年5月)

 文化12年(1815年)夏、本庄宿豪商戸谷半兵衛光寿が神流川の両岸に灯籠を建立した。「戸谷半兵衛光寿」は俳人戸谷双烏

明治24年(1891年)、灯篭は高崎市大八木村に移されてしまったそうだ。

昭和53年(1978年)、現在地に再建。

八坂神社へ。

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