放浪記以前 私は北九州の或る小学校で、こんな歌を習った事があった。 更けゆく秋の夜 旅の空の 侘しき思いに 一人なやむ 恋いしや古里 なつかし父母 私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。父は四国の伊予の人間で、太物(ふともの)の行商人であった。母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者と一緒になったと云うので、鹿児島を追放されて父と落ちつき場所を求めたところは、山口県の下関と云う処ところであった。私が生れたのはその下関の町である。――故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。それ故、宿命的に旅人である私は、この恋いしや古里の歌を、随分侘しい気持ちで習ったものであった。――
『放浪記』 |
私は古里を持たない |
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旅が古里であった |
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林芙美子『放浪記』より |
作家林芙美子は、 少女時代直方の大正町の馬屋という木賃宿に滞在し、両親とともに行商生活を送った。大正4年芙美子12歳の夏とされている。そして、その時の思い出を『放浪記』に「私はよく多賀神社へ遊びに行った。そして、馬の銅像に祈願をこめた。いい事がありますように」などと綴り、「このころの思い出は一生忘れることは出来ないのだ」と結んだ。この言葉は芙美子が直方の町での生活にいかに愛着を持っていたかを物語っている。 ここに、芙美子と文学的交流のあった寺尾章氏の発議、直方の文化を愛する人々の協力のもとに、直方市制50周年記念協賛事業として、文学碑を建立するものである。
直方文化連合会 |