2022年福 岡

ひらしま酒店〜種田山頭火〜
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 昭和5年(1930年)11月25日、種田山頭火は大蔵に在住していた剣道九段の小城満睦氏を紹介される。

ほがらかな晴れ、俊和尚と同行して警察署へ行く、朝酒はうまかつたが、それよりも人の情がうれしかつた、道場で小城氏に紹介される、氏も何処となく古武士の風格を具へてゐる、あの年配で剣道六段の教士であるとは珍らしい、外柔内剛、春のやさしさと秋のおごそかとを持つ人格者である、予期しなかつた面接のよろこびをよろこばずにはゐられなかつた、


 北九州市八幡東区羽衣町に「ひらしま酒店」(HP)があるというので、訪ねてみた。

大蔵川を渡る。


ここは俳人山頭火翁も来た町大藏です。

この大蔵川は江戸時代黒田藩と小笠原藩の国境の川でした。



今日も事なし凩に酒量るのみ

大正3年『層雲』(3月号)の句。



酔ふて戻つてさて寝るばかり

出典は『其中日記(八)』。昭和10年(1935年)4月12日の句。

朝酒朝鳥晴れてくる

昭和8年(1933年)の句。

月が酒がからだいつぱいのよろこび

出典は『其中日記(十)』。昭和12年(1937年)1月25日の句。

酔ざめの花がこぼれるこぼれる

出典は『其中日記(八)』。昭和10年(1935年)7月23日の句。

ゆうぜんとしてほろ酔へば雑草そよぐ

昭和8年(1933年)の句。

コスモスが咲いていた。


大藏小学校横に「ひらしま酒店」があった。

光久蔵

地酒の先達として有名だった東京池袋の甲州屋児玉光久氏は私のあこがれであり、地酒の戦友でありました。その彼が昭和62年6月15日、43歳の若さで亡くなったときは、私の心に穴があいたようでした。彼の遺徳を残すべく、板画家「秋山巌」先生の御協力を得てこの蔵を建てました。

秋山巌は大分県竹田市出身。棟方志功氏に師事。

昭和28年(1953年)、太平洋美術学校卒業。

平成26年(2014年)9月15日、没。



一杯やりたい夕燒空

出典は『行乞記』(三八九日記)。昭和6年(1931年)2月1日の句。

酔ひしれた眼にもてふてふ

出典は『其中日記(三)』。昭和8年(1933年)4月2日の句。

「ひらしま酒店」の横に種田山頭火の句碑があった。


訪ねて逢へて赤ん坊生れてゐた

出典は『其中日記(五)』。昭和9年(1934年)2月21日の句。

平成7年(1995年)5月、建立。

年長者の里へ。

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